2004年03月18日

表現の自由はどこまで許されるのか

今日のオススメ曲「HouwitserのCommand respect」

 「週刊文春」の3月25日号で田中真紀子さんの長女についての記事が掲載され、東京地裁はプライバシーの侵害を理由にこの号の出版を禁止する仮処分命令を出した。公人やタレント本人についてならともかく、家族の私生活を暴露するのはプライバシーの侵害と訴えられては疑う余地もない。しかし、出版禁止命令の決定に即座に繋げていいのかどうかは、議論すべきであろう。

 実際、出荷していない数万部は差し押さえられたが、出荷済みの数十万部の一部は多くの雑誌販売店で見かけた。午後にはこのニュースの騒ぎもあって、ソールドアウトの店も続出したという。出版社としては、出版禁止命令が出たのに対しプライド的な部分で撤回を求めているのだろうが、売り切れが続出したということは、今回のニュースが宣伝となり、売り上げに大きな貢献をしたと考えてもいい。
 最高裁の出版の差し押さえの判例は、「重大にして著しく回復困難な被害をこうむる恐れがある時」にかぎった特別措置であって、日常的に安易に決定されては、今回の処分が妥当な判断であったのかは難しいところだ。今回のケースも判例として将来参考にされる場合もあると考慮すると、「表現の自由」はことごとく否定されていくだろう。
 しかし、メディアに出ることを商売としていない者が知らぬところで取材され、知らずのうちに記事になる。しかもそれが週刊文春のように巨大な発行部数を持つ媒体であったならば、これが原因で本人は自殺する可能性もある。表現の自由を優先したならば、我々一般人の生活を守る手だてはどこにあるのか。どうやって身を守れというのか。
 民主主義社会には国民に知る権利があるというが、プライバシーの保護 > 知る権利 > 表現の自由 の順であってもらいたい。ゆえに、今回の件に対しメディアは「たった1人の判事の決定が……」と伝えているが、よく出荷禁止の決断ができたなと、僕は逆に感心している。

 問題は、この訴えの協力者である田中真紀子さんがこれを“自分の勝利”のとして利用し、それを盾に政界のど真ん中に躍り出ようとしているのではないかと感じている。差し押さえにあたっても、自分の権力を武器に判事に詰め寄った気もする。それと、発売直前のゲラをどうやって入手したのか……。しかも異常なペースで進行する週刊誌の校正だけに、ゲラチェックをすべての私人、公人に頼んでいるとは到底思えないし、ならば、なぜ田中真紀子さんと彼女の長女はこの記事が掲載されるのを知っていたのかと。(一般人の私生活には、誰も興味ないだろうが……)仮にどこかの一般人の私生活が掲載予定だとして、彼は果たして今回と同じようにゲラを入手できただろうか。これも政治家の特権で入手可能なのだろうか。もしそうだとすると、何でも思いのままになる代議士ほどいい商売はない。

 ちなにみ「報道の自由度」の格付けとやらがあるらしく、昨年度日本は44位、アメリカは31位、1位はフィンランドだそうだ。最下位は北朝鮮。

Posted by DODGE at 2004年03月18日 15:52 in 2004.1〜4月