2004年01月22日

夢の彼方に

Date: 2004-01-07 (Wed)

今日のオススメ曲「Toby KeithのCourtesy Of The Red White And Blue」

 中邑真輔が天山広吉からIWGPヘビーを奪取して以来、中邑に対するファンの評価に大きく亀裂が走っている。新日本プロレス所属のレスラーながらプロレスデビューを前に総合ルールの試合するという異例のスタートを見せた中邑だが、純プロレスでの評価はまだまだ低い。
 今年は新日の夏の風物詩として人気のG1クライマックスに抜擢された。G1といえば約1週間に5試合をこなす長丁場のシングル・リーグ戦で、中邑がどれだけできるのかと、10年選手を支持するファンは腕を組んで眺めたが、中邑はやってのけた。ルーキーとは思えない闘いぶりで1勝をあげることに成功した。期待以上の結果を残すのが、中邑のいいところでもある。

 そんな中邑の純プロレスと総合との二足のわらじを高く評価した新日フロント陣はデビューから12年、5度めのIWGP挑戦でチャンピオンとなった天山の初防衛戦の相手として指名。天山は中邑に「プロレスの怖さを教えてやる」つもりだったが、ほんの一瞬のスキを突かれ、腕ひしぎ逆十字固めでギブアップ負けをする。
 
 ここから中邑へのファンの評価が変わってきた。天山は「受けのプロレス」に定評があり、やられても立ち上がってくる姿勢にファンは魅了されてきた。「そんな天山がやっとの思いで奪還したベルトをなぜ新人の中邑が奪うんだ!?」と、観衆は新チャンピオンになった中邑を罵倒した。
 中邑は「試合中がどんな展開であったとしても、最後に立っていたレスラーが強い」と述べ、ストロングスタイルをアピールした。それが新日本イズムであり、ストロングスタイルである。
 中邑は、仲間意識が強くなり切磋琢磨しているように見えない現在の新日に殺伐とした雰囲気を持ち込んだ。総合ルールの試合を経験するとこで、一瞬たりとも気が抜けない集中力と強さを持ち帰った。
 
 12月31日、中邑は「Dynamite!!」に参戦した。師匠・猪木がプロデュースする「猪木祭り」ではなく、K-1を選んだのだ。答えは明確。対世間を考えた場合、曙vsサップ戦が開催されるK-1がもっとも一般層から注目を浴びる興行だったからだ。下火と評価される平成のプロレス界。中邑はもっとも世間にアピールできる場でして、Dynamite!!を選んだ。「プロレスラーの強さ」を証明できる場所として。
IWGPチャンピオンとして臨んだ中邑は若干23歳。プロレスファンの気持ちを代表するには荷が重すぎたかもしれない。プロレスラーがK-1選手を粉砕する夢は儚く消滅した。ところが、すべては1月4日、高山善廣戦とのための出陣と考えていた。

 プロレス復興を夢みる若者は、あえて高視聴率番組に出ることで1.4の試合をアピールした。ある意味、新日本プロレスの広告塔として出場したのだった。しかしその代償を大きい。イグナショフから受けたパンチとヒザ蹴りによって、右目を腫らし、鼻骨も亀裂骨折を負。
 1.4の試合で、高山は非情にも過激な攻撃を中邑の負傷した顔面に何度も打ち付けた。相手が痛めている箇所をねらうのがプロレスのセオリーである。悶絶してグランドを転がり回る中邑であったが、高山の攻めを全部受け止めた上で、最後はギブアップを奪ってみせた。
 「相手の技を受けた上で勝つ」勝利の方程式は、プロレスの真骨頂である。それを中邑がやってのけたのだから、ファンも文句のつけようがない。

 そもそも、最近の新日本内には「いい試合」をしようとする意識が強い。この「いい試合論議」はまたの機会にするが、中邑も試合に勝ってなお「いい試合だった」と評価されたとき、はじめて新日本プロレスを背負える選手になれる気がする。
 プロレス復権のために、新日本プロレスのために負傷覚悟でK-1のリングにあがり、そして二冠王となった中邑に期待する者も多い。彼の覚悟はベテランレスラーに語りかけるものがある。

Posted by DODGE at 2004年01月22日 18:58 in 2004.1〜4月