2004年01月16日

田村潔司、おまえ、男だ

Date: 2003-08-21 (Thu)

今日のオススメ曲「OutrageのMidnight Carnival」

 田村潔司が吉田秀彦に一本負けを喫し、世間では吉田最強の狼煙が上がっている。しかし田村は競技としての勝負には敗北するも、試合内容では勝った。これは、負け惜しみではない。PRIDE GP 2003の裏メインイベントと謳われたこの一戦、真の功労者は田村である。
 だが戦前、彼には何かが起こっていた。この試合に臨むにあてって、心境に変化があり、彼は何かを探求していた。その「何か」こそが、田村vs吉田戦を語るもっとも重要なパートだと確信している。
 

  第5試合のミルコ・クロコップvsイゴール・ボブチャンチン戦が終わり、その興奮が冷めぬまま、第6試合、田村vs吉田戦を煽るショートムービーが流れた。注意すべきポイントは、PRIDEが仕掛けたアングル---「U vs 金」、もしくは「U vs 柔道」である。
 吉田は「柔道が最強の格闘技であることを証明するためにプロのリングに上がると決意した」とデビュー戦(ホイス・グレイシー戦)の試合後に語った。一方で田村は、「最強」を掲げてたUWF インターおよび高田延彦を崇拝した男、そしてその直系遺伝子を継ぐ唯一の選手である。
 この異種格闘技戦の背景には、「U vs 柔術」で世間を翻弄した「高田vsヒクソン・グレイシー戦」が描かれていた。一般的には桜庭和志が高田のDNAを継承したと考えられているが、そもそもUWF最強論を継いだ者としては、田村潔司をおいて他に誰がクオリファイさるのるのか。
 高田vsヒクソン戦といえば、PRIDEの原点であり、この格闘技イベントが世間に認められた一戦でもある。その興奮を21世紀に蘇生させる。ここが田村vs吉田戦にかけられた最大のアングルだった。
 
 田村は昨今、顔面パンチありの総合ルールに批判的であり、PRIDE出場にもネガティブなファイターである。特に日本人同士の対決は避けてきただけに、なぜ吉田戦を承諾したのかも、ポイントの1つだ。にわか格闘ファンの間では「吉田最強論」が成立している。闘わずして、「吉田は田村より強い」という図式もあった。実際には闘ってみなければ、本来のベクトルが誕生しないわけで、この一戦が決定した際、誰もが興奮した。
 「夢の実現」。この夢の対戦は、田村が勝つことで完成する。つまり、夢の実現=田村の勝利であって、ファンの期待はあのショートムービーが流れた瞬間爆発した。
 
 たとえば、格闘技totoがあったとして、田村vs吉田戦に賭けるのであれば、大半の人は吉田に賭けただろう。ファンの思いは、田村が勝つこと。「田村、危ぶし」とわかっていても、田村に一票を投じる。これがファン気質というのもだ。ところが、「勝ってください。夢を見せてください」と思うファンの気持ちは、田村の入場時に吹っ飛んだ。田村が、あの有名入場音楽の「Flame of Mind」を使わずに、新曲で入場してきたからである!
 私もあの曲が大好きで、携帯の着メロにもしているし、「今日のオススメ曲」にも挙げたほど。田村はファンが期待するあの曲を使用せず、悠々とリングへ歩みをはじめた。
 一体、田村に何があったのか---。
 
 田村も自らの新時代の幕開けを望んでいたのだろう。師匠の高田が通った路、「U vs 武道」を感じていたのか。
 UWFインターが新日本プロレスと対抗戦を行なった際、田村はそれに賛同しなかった。Uが純プロレスと交わることを否定し、その後、愛したUWFを去り、前田日明のリングスへと移籍する。溺愛したUWFを守るため、高田を超えるため、田村は心機一転の境地にいたのか……。
 もしくは、自らの集大成であるU-STYLEを主戦場する現在、「PRIDEは別もの。だから、『Flame of Mind』は使わない。汚れさせない」として総合用の曲を用意したのか……。
 理由がどこにあるにせよ、戦前、田村の心境に揺れがあったことは確かである。
 
 一部週刊誌では「Uが柔道に負けた」と報じられた、私はそれを認めていない。なぜなら、UWFのテーマソングに乗って田村が入場したのであれば、私もUの敗北を認める。そして、田村がFlame of Mindで入場して負けたのであれば、田村の敗北も認めたであろう。だが、今回の田村は私たちが観てきた田村潔司ではなく、新生田村だったからで、それはまったくの別物と考えたい。
 
 吉田秀彦は、昨年のDynamite!以降、国民的ヒーローへと成長した。柔道王国と呼ばれた我が国の金メダリストが、プロへの転向。武道=胴衣の方程式は、日本人らしさの象徴であり、それは長い不況で悩む国民に「日本人でも世界を相手に勝てる」という希望の光を差し伸べた。吉田の快進撃は、日本人であることを誇りに感じさせた。時代は、吉田に傾いていた。
 だが今回、吉田が迎え撃ったのは田村潔司。入場曲が異なったために、ファンは一瞬とまどいを見せたが、ゴングが鳴った瞬間の声援は、田村コール一色。明らかに、田村信者が会場を埋め尽くしていた。国民的ヒーローであった吉田は、大ヒールへと変貌していた。
 
 田村が吉田の左膝インサイドへローキックを放つ。会場には、キックが当たったと同時に「オーイ、オーイ!」と歓声がこだました。田村のパンチで吉田がグラつくと、会場は総立ちとなり、前のめりで勝機を後押しした。
 吉田が左からの投げで田村をグラウンドに押さえた瞬間、「オーーーッ!」というどよめきが上がったが、私には「あ〜っ」という悲しく切ないため息に聞こえた。
 
 今、思い返してみると、これほどの善戦、いや熱くなれた試合、感情移入できた試合がいままでにあったのか、ということだ。PRIDE全戦を通してのベストバウトであり、これは田村潔司によって創造された。負けても株を落とさない。これがプロフェッショナリズムの真骨頂である。プロ気質を語るうえで、活字プロレスを語るうえで、“勝敗”というのは、尺度が小さい。
 
 「田村潔司、おまえ、男だ」。
 高田延彦、あなたは予言者か!? プロレスラーも捨てたもんじゃないと、改めて技量の高さに感動した。

Posted by DODGE at 2004年01月16日 18:18 in 2003.5〜8月