2004年01月08日

永田裕志、IWGPヘビーV9達成

Date: 2003-03-15 (Sat)

今日のオススメ曲「ELOでロールオーバー・ベートーベン」

 永田裕志がIWGPヘビー級チャンピオンとして偉業を成し遂げた。元新日本プロレスの橋本真也が持つ歴代タイ記録、V9を達成。永田は新日プロの真エースとして君臨する。
 
 2001年3.2。彼は、ZERO-ONEの旗揚げ興行にてメインのタッグ戦に登場する。破壊王のパートナーとして出場した。対戦相手は、NOAHの三沢光晴・秋山準組という同団体のトップチームだ。
 これを境に、永田のバク進ロードがはじまった。
 武藤敬司を相手に向かえたG1決勝を見事な展開で優勝。秋山が持つGHCヘビー級ベルトへの挑戦、ミルコとの異種格闘技戦など目まぐるしい活躍を遂げた。
 橋本が、武藤が、小島が新日本を離れ、団体の注目度よりむしろ存続が危ぶまれていたとき、永田はすべてに対して怒りを散らした。強さの象徴を手に入れることが会社内での発言権をえることであり、自らがエースに立つことが危機を乗り切る構図と考えたのだった。
 答えは明確。IWGPヘビー奪取である。
 
 永田、生涯初のベルトへの挑戦は、1998年9.23に訪れた。 藤波辰爾からベルトを奪った蝶野正洋であったが、体調不良のため王座を返上。そのタイトルをかけてスコット・ノートンと対戦したが……敗戦に終わる。第三世代と呼ばれる同士たちは次々にIWGPヘビーに挑戦してゆくも、その後長い間、永田にはチャンスが回ってくる気配すらなかった。
 しかし転機は突然やってきた。PRIDEのような総合系が世間に浸透しはじめ、プロレス内における格闘スタイルも注目されはじめていた。永田の出番である。
 2002年4.5、永田通算4度めとなる王座挑戦の相手は、2001年の大晦日にイノキ・ボンバイエでレ・バンナに圧勝した安田忠夫。初のG1制覇を成し遂げたときと同じ技、ナガタロックIIで安田からギブアップを奪い取ると、永田は第31代IWGPヘビー級チャンピオンの座に就いた。
 
 その後新日本のエースは、防衛ロードを突き進んできた。
 外敵の最強と言われた高山善廣との防衛戦でベルトを守ると、自身まだ1度も勝ったことがなかった佐々木健介との防衛戦にも屈しなかった。
 3度めの防衛戦は、元パンクラス王者のバス・ルッテンと相まみえた。
 4度めは藤田和之と対戦し勝利する。永田は藤田がIWGP王者の際に挑戦者として闘っているものの、そのときは破れている。藤田越えも達成した。
 5度めは蝶野正洋。同マッチは60分を闘い抜き、時間切れ引き分けとなり、防衛に成功した。
 6度めの相手は魔界倶楽部として新日本に参戦中のUFO・村上和成。永田は村上のラフ殺法に流血するも、狂気の攻めを見せベルトを防衛した。
 7度めは新日プロ初参戦でいきなりメインとベルト挑戦になったUFC王者のジョシュ・バーネットと対戦。
 8度めは、オールドスクール・プロレスを展開する無我の西村修を相手に、“これぞ純プロレス”とファンを魅了させる試合内容を見せた。
 そして、歴代防衛記録に並ぶ9度めの防衛戦には、中西学が挑戦した。厳しい試合展開を見せるも60分時間切れ引き分けに終わり、タイトル移動はなく、永田のV9樹立となった。
 
 これら苦闘の9試合を勝ち抜くことを他の新日レスラーの誰ができるだろうか。2度の時間切れ引き分けがあるものの、ベルト奪取を許さない強さは、肉体・体力的なものだけでなく、心理的な部分がもっとも作用している。
 今年のG1では蝶野と高山の試合後、外敵軍の成敗を呼びかけ、自ら新日本をリードすることを誓った永田は、時代が求める王者といえる。
 IWGPの歴史はアントニオ猪木からはじまった。如何なる時代にも同団体を象徴するレスラーがベルトを巻き、熱い戦いが繰り広げられた。永田はその歴史に王手を掛けた。V10達成は目前に迫っている。
 次ぎの対戦相手には同じV9達成者である橋本真也を指名している。これが実現すれば、歴史的快挙であり、興行面での成功も間違いないだろう。
 新旧新日プロのエース対決。歴史が動く最高の試合は、夢物語で終わらせてほしくない。 

Posted by DODGE at 2004年01月08日 18:16 in 2003.1〜4月