2004年01月08日

長州イズム??「ど真ん中のプロレス」について考える

Date: 2003-03-08 (Sat)

今日のオススメ曲「ジェフ・ベックのエル・ベッコ」

 「WJ旗揚げ戦についてコメントが欲しい」とリクエストがあったので、興行というより、長州イズムについて考えてみたい。

 長州力が再び始動する。
 1998年に一度引退するものの、2000年、1年以上におよんだ大仁田厚からのラブコールに応え復帰した。“革命戦士”は初の電流爆破マッチを経験する。リングに再登場した長州は大仁田とのワンマッチだけとウワサされていたが、その後、シリーズにも参戦し地方興行にも帯同。
 2002年、長州は現役のまま新日本プロレスを退団。「アントニオ猪木には何もないですよ」、「何人か選手を育てたい」、また「オレの色に染める」とコメントを残した。
 あれから約10ヶ月。鬼軍曹は「WJプロレス」を設立し、3月1日、横浜アリーナで旗揚げを敢行した。
 
 WJ旗揚げ戦を目撃しようと、1万3000人のファンが横浜に集結した。長州は3.1が決定した際に、「ど真ん中のプロレスをするだけ」と言い残していた。それが何なのかを解き明かすためにも、同大会の空気を共有しなければならなかったのだ。
 
 WJ第1回興行第1試合。歴史の残るこの一戦には、石井智浩vs宇和野貴史のシングルマッチが組まれていた。
 ロックアップからはじまり、ヘッドロックへ移行。張り手の攻防、キックなどと“飾り気のないプロレス”が展開された。ロープへも無闇に飛ばさない、大技にも頼らない。選手が持っている気迫の勝負。これが長州プロレスの原則である。
 飾り気がないと言えば、同興行では派手な演出がまったく見られなかった。会場にあったのは、リング、赤い花道、そしてWJロゴが吊されているのみ。旗揚げ戦にも係わらず、長州自身によるはじまりの言葉もない。
 あったのは、殺伐とした雰囲気。そして、選手はマット上で熱い試合を見せるだけだった。
 これが、「ど真ん中のプロレス」の正体だった。
 
 
 新日本プロレスやWWEを見てきたファンにとっては足りないづくしの興行だろうが、長州は演出を無駄な部分とした。そうしたことを一切排除し、選手はリングでぶつかり合う。
 長州的にはリング上がすべてであり、試合で評価されるべきと考えた。というより、それが当たり前としてきた。ということは、あるのは試合だけ。新日本育ちの長州ではあるが、このスタイルはある意味、全日本プロレスの王道スタイルに近いとも取れる。
 試合で“魅せる”ことが、プロレスである。それが長州イズムなのだ。
 
 しかしこれは、「時代との逆行でもある」と週刊ゴングは伝えた。演出面を強化することでイベント性を高める団体が増加するなか、WJはそれの正反対の道を往く。
 先日旗揚げ戦を行ったU-STYLEにしても、時代のニーズと180度逆の方向に進んでいる。
 
 週刊プロレスでは「ど真ん中のプロレス」を「まる裸のプロレス」と謳っている。
 
 長州イズムを“力と力のぷつかり合いをマット上で表現すること”とするならば、ファンが試合に満足できなければ、言い訳が効かない。  
 ところが、これがなぜか新鮮に見えたのは、時代と逆行したスタイルを敷いたからではなく、肉体が真っ正面からぶつかり合うというプロレスが、今のマット界では希少となっていたからだ。つまり、「目ん玉が飛び出るようなストロングスタイル」が長州イズムであり、「ど真ん中のプロレス」なのだ。
 
 現在、プロレスは格闘技界のなかで肩身の狭い場所に置かれている。K-1やPRIDEは、以前プロレスが走っていたトラックを奪い獲ってしまった。WJのプロレス復権は実るのか!? また時代は「ど真ん中もプロレス」を求めているのだろうか!? 

Posted by DODGE at 2004年01月08日 17:43 in 2003.1〜4月