2004年01月07日

田村潔司はヤッパ、スゲーよ

Date: 2002-12-17 (Tue)

今日のオススメ曲「柏原よしえのハロー・グッバイ」

 “U”は、終焉していなかった!
 PRIDE23で高田延彦が引退し、UFWインターの象徴は記憶の中でのみ生き続けることとなったが、今その遺伝子は現実のものとなって蘇る。
 高田の引退試合を受けた男、田村潔司がUWFの文字を復活させる。

 
 12月9日、U-File Camp道場で田村が会見を開き、「UWF JAPAN」を旗揚げすることを発表。2003年2月15日お台場のディファ有明で旗揚げ戦を開催する。
 「最近ではオープンフィンガーグローブでの試合が主流になっていますが、UWF-JAPANでは技術の攻防、夢や感動を与えるようなスタイルでやっていきたいと思います」と田村選手。「格闘技界、プロレス界、マット界全体の活性化のためになればなと。マッチメイクに関しても、いろいろと幅広くやっていけると思うんで。でも、一番の目標は続けていくことなので、3年、5年、10年と見据えて頑張っていきたいです」と述べた。
 ルールはオープンフィンガーグローブの着用はなし、レガースは着用、ロープエスケープありというもの。詳しいルールは、これから煮詰めるという。
 
 ということは、これはUWFルールに近いプロレスになるということだろう。
 UFWルールとは、ダウンとロープエスケープによるロストポイント制のこと。
  現在はPRIDEをはじめ、UFCやZST、DEEP、BEST、シュートなどと格闘技色の強いバーリ・トゥード、いわゆる総合格闘技が主流であるが、田村はこの総合ルールをブルータル過ぎると難色を示してきた。PRIDE23の高田との試合のとき、自分が上になった状態で高田の顔面を殴れなかったのもその証拠の1つ。また、初参戦となったPRIDE19では(バンダレイ・シウバ戦)、試合前のインタビューで「グラウンドの状態で顔面パンチというのは……」とも述べていた。
 確かに、バーリ・トゥードは完全決着ルールとしてはわかりやすいが、競技性としては過激すぎるという意見も多い。
 
 また、PRIDEが時代の先端を走っているが、それとは逆行するかたちでUWF的ルールを採用するという部分に、アンチテーゼではあるが、ある意味、期待を感じさせる。最先端に目を向けるだけが楽しいわけではない。
 その逆も言えるだろう。「いまさらUWFを出してくるなよ」と反論も多いはず。
 ただし、それはファンの解釈によっては、もっとも見やすい格闘技とプロレスの接点なのかもしれない。

Posted by DODGE at 2004年01月07日 17:33 in 2002.11〜12月