2003年12月16日

熱のないPRIDE21

Date: 2002-07-02 (Tue)

今日のオススメ曲「少年隊のバラードのように眠れ」

 ちょいと前の話になってしまうが、PRIDE21がさいたまアリーナで開催された。プロレス・格闘技を全般に好きなボクとしては、見逃せない興行だった。ただし、グランドのでの攻防が多い総合系の試合は、会場で見たいという気はない。むしろ、家でPPVを見ながら、ワザの掛かり具合を個人的に解説しながら見るのが楽しい。ハッキリ言って、ヲタクの境域に達している。

  しかし、今回のPRIDEは、まったく面白くなかった。カードはそこそこ興味あったのだが、ダラダラとした試合展開にゼニを払ってまで見るものではなかった。ある意味、無料の興行→アマチュア大会みたいなものだったら理解できたのだが……。
 
 PRIDEというものは、プロのリングである。意義のすべては、“異種格闘技”にある。PRIDEがはじまる前、世界にはそれの先駆者的興行のUFCがあった。「オレは世界一強いんだ!」ということを証明するために、世界各国から格闘家が集結した。しかし、アメリカでは「危険すぎる」だの、「残忍すぎる」だのの理由の下に、興行ができる州が制限されている。
 その後PRIDEが1998年に発足されるわけだが、ゼニの力もあってか、まさにドリームカードと呼ぶに相応しい選手がPRIDEに集結していった。
 
 しかし問題は、PRIDE10くらいから起こりはじめていた。PIRDEの意義は異種格闘技戦、いわゆるバーリ・トゥードにも係わらず、気がつけば“「何でもあり」という名のルールの基に開催される大会”になってしまっていた。
 異種格闘技戦の面白いところは、たとえば「ボクサーと柔道家が素のままで闘うから、何が起こるかわからない」という緊張感があった。それが、いつの間にかボクサーが寝技を修得し、柔道家がボクシングの練習を積み、総合格闘技家と化し、ルールに対応できる選手に成長していった。これが最近のPRIDEをつまらないさせた要因の1つである。早い話、異種格闘技戦から総合格闘技戦へと変貌していった。
 
 もう1つ言えることは、前述したように、PIRDEはアマチュア大会ではなく、プロの大会であるということ。プロである以上、ファンも多く、彼らの期待に応えるたなら、勝つことは当然としても、ファンの沸かさなくてはならない。このプロ意識の低さがPRIDEのレベルを低下させている。
 「勝ちたければ、最初優勢に攻め、あとは時間稼ぎをして判定に持ち込めばいい」。こんな考え方をしていては、ファンは絶対に喜ばないし、プロではない。
 本当のプロの選手は、負けっぷりもよく、負けたとしても株を落とさない。これが、真のエンターテナーである!
 
 そういった意味で、凡戦多しのPRIDE21を救ったのは、田村潔司と高山善廣、特に高山善廣はMVPだ。
 
 田村は、あのボブ・サップと闘ったのだ。彼が体重差80kgのこの試合を承諾した時点で、この興行の功労者になった。誰も負けることを考えて試合を迎えないが、負けて当然の試合を選び、田村は入場するときすでにファンの心を掴んだ。実際に彼は負けたのだが、株は上がった。
 ドン・フライとの死闘の一戦を交えた高山も、負けたものの株は200%上がった。
 
 試合が決定した時点でファンを沸かせる、入場で沸かせる、試合内容で沸かせる。この2人はまさに真のプロ格闘家だった。しかも、2人ともにプロレスラーである。ある意味、再びプロレス最強説が浮かんだ瞬間でもあった。
 
 また、彼らはともにUFWインター出身である。現在PRIDEには、高田延彦、桜庭和志、松井大二郎、田村潔司と高山善廣がいるが、彼らはすべて元UWFの選手だ。今まさにPRIDEはUWFインターの時代に突入したといっても過言ではない。

Posted by DODGE at 2003年12月16日 21:23 in 2002.6〜10月