2004年01月16日

スクール☆ウォーズ最終編

Date: 2003-12-27 (Sat)

愛ってなんなんだ

今日のオススメ曲「Genocide SuperstarsのFinal Descent」

 90年代初頭以降、日本経済は絶頂期から下降傾向を辿り、人々は日々の生活に追われ「なんとか切り抜けなくては……」と不況の樹海を彷徨っている。努力が無駄ではないのは明確だが、それが裏目裏目へと続き、身勝手な方向性を巡っている気がする。カラーテレビが飛ぶように売れた70年代。今まで情報の発信源だった印刷物は下火となり、テレビがその地位を奪取する。80年代に入ると、読書離れする子供たちが急激に増加。私も本読みが大の苦手で、それが楽しいと感じ出したのは高校生時代、90年代に突入してからだった。

 80年代後期から90年代初頭にかけて、テレビ制作の主流はトレンディードラマだった。普通の会社員が平均レベルの収入しかもらっていないはずなのに、高層マンションに住み、洋服、生活形態、遊び方は年収1000万円以上クラスのそれをイメージさせた。いわゆる「ドラマの世界」であり、ファンタジーである。そんな人生を夢見た人も少なくなかろう。まさに、現時点の中国を見ているようだ。
 ところが、前述したように、景気が打ち止めとなり現在に至る。ドラマの世界を覗いてみると、あのころのような幻想的なシナリオは皆無である。そこには、連続殺人、裏金融、不倫などとダークで今の時代を象徴するかのような作品が氾濫している。アメリカでは犯罪率が上昇した理由にバイオレントな映画が多いためと批判されているが、21世紀の我が国のドラマも不健康そのものであり、それが少年たちの道を踏み外させている確率は高い。

 では80年代、70年代に不純なドラマがなかったのかといえば確かにあったであろう。しかしその時代を生きてきた人は思い出してもらいたい。今でも語り継がれている作品、たとえば「俺たちの時代」、「おれは男だ!」、「3年B組金八先生」、「我ら青春」、「北の国から」、「スチュワーデス物語」、そして「スクール☆ウォーズ」などにはすべて、友情、信頼、勇気、寛大、孤独、憎悪、愛情、努力といった偶像ではない生々しい人間本来の感情が凝縮されている。特にスクール☆ウォーズの定評は衰退することを知らない。それは同ドラマ内で滝沢賢治の中学時代の恩師である藤山洋一が伝えた「愛とは、信じ、待ち、そして許してやることだ」が、この時代を共有した人々の中で今でも生きているからである。
 ところが、現実社会において、このような綺麗事はほとんど通用しない。信念として持つのは勝手だが、愛と憎悪、または愛と裏切りは表裏一体である。パラドックス現象とは恐いもので、愛情表現をひとつ間違えば、それが相手にとって正当なものなのか疑問へと姿を変える。近年話題となっているフェティシズムは究極の感情移入ともいえる。フェティッシュたるものは、その対象物によって異なるが、愛すればこそ誕生するものであって、嫌いなものにフェティシズムは懐かない。結論を言えば、愛するがゆえに異常性にまで発展するのだ。愛するがゆえにストーカーへと変貌する。愛するがゆえに殺害する。21世紀のドラマは、愛情表現を究極にまで突き詰め過ぎた結果、断片的な部分が強調され過ぎているのではなかろうか。だが綺麗事と述べたものの、「愛とは、信じ、待ち、そして許してやること」こそ、人を思いやる根本的な言葉なのかもしれない。

 そんな一般的な愛のかたちを、ラグビーを通し生徒に教えてやろうとしたのが滝沢賢治だった。それは丸茂が「ラグビー部をやめる」と言ったときの滝沢のセリフからもわかる。
 「我々が子供たちにしてやれるのは、彼らが自分の選んだ道にぶつかって行くための、ヤル気を育ててやると言うことです。勇気と言い替えてもいいです。何かをやるには勇気がいります。でも、その勇気はどんな大金持ちでも子供たちに買い与えることはできません。勇気はどこにも売ってないんですよ。私はラグビーを通じて、素晴らしいものにいくつも出逢いました。友情、信頼、そして勇気です。私はこの素晴らしい巡り会いを、ひとりでも多くの子供たちに味合わせてやりたいんです」。人を愛するためには信頼そして勇気が必要であり、友情も愛のひとつの姿である。
 またラグビーを通し孤独から逃れ、寛大さを植え付ける意味では、
 「これまで川浜一の ワルと恐れられたお前に、尻尾を振って擦り寄ってきた人間はたくさんいただろう。だが、本当に心を開いて付き合ってくれた友達はイソップだけだった。あいつは自分がレギュラーになれないことは、よーく知っている。だからその夢をお前に託したんだ。ボールを持って走るお前はイソップ自身なんだ。お前の挙げるトライはイソップのトライだ。お前の決めるゴールキックはイソップのキックなんだ。そんな他人の夢のために、汗水たらしたくないって言うんだったら、俺はもう何も言わん」とは滝沢が大木大助に語ったセリフである。
 ここで滝沢は夢という幻想の世界について述べた。いくら友のためとはいえ、ラグビーを続けるのは容易ではない。しかし友情があり、愛情があって努力できる。信頼関係があるからそこ、孤独感から解き放たれ、勇気は湧くものだと伝えた。夢を追いかけること、ハングリー精神を持つこと、チャンレンジ精神を持つことは、まったく恥ずかしいことではなく、それが人生そのものなのだ。何が起こるのか想像もつかない屈折した現代において、「明るい未来を思うこと」は夢の世界かもしれない。しかし夢を否定しては、今日を生き抜くことを否定する。滝沢は「今を生きる大切さ」をイソップにも伝えていた。
 希望が消失しまったかのような平成の世で、何を手本にすればいいのか。せめてテレビの中だけでも感情移入できる作品に出会いたい。そんな意味でスクール☆ウォーズは、本来の人間ドラマを再現した水先案内役だった気がする。
 若者よ、レンタルビデオ屋に走れ! “空駆ける天馬のように!”。

Posted by DODGE at 2004年01月16日 18:44 in 2003.9〜12月