2004年09月17日

浜口京子のプロレス入りは是か非か

 アテネオリンピックが閉幕して少し時間が経過したが、唯一ビデオ録画して観戦した女子アマチュア・レスリングの試合を再度鑑賞し、検証した。女子レスリングの強さは大会前から囁かれていたが、ホントに全階級の選手があそこまで上り詰めると、日本のレベルが高いことを再認識させられた。「全階級でゴールドメダルが確実」とまで謳われ試合に向かう気持ちはどんなものなのか、と考えてみた。

 どの競技に関しても言えることだと思うが、試合をヤル前から負けることを考えるヤツなどいないはず。特にアマチュアの世界では結果を残してナンボである。実業団の選手など、普段は仕事と練習を掛け持ちでやっているが、ぶっちゃけた話、能力的に仕事の面だけを取れば、採用されなかった人も多いだろう。つまり、社員として選手として二足の草鞋で採用されたのだから、仕事でよい成績を残せていない選手ほどスポーツで結果を残さなければ会社としても投資の意味が薄れてしまう。ゆえに、プレッシャーに個人差はあれど、優勝を考えず挑戦するのは選手としておかしい。

 だが、プロレスでは明らかに違う。プロレスは強さを証明する場ではない。あくまでもエンターテイメントであり、ショーであることを前提に観戦するものである。その上で鍛え上げた肉体を資本にぶつかり合うのだ。素人がやれば、数秒で殺されてしまう。いくら「ショーである」と足掻いても、リングに上がれる者は辛い練習に耐え抜いた選手のみ。選ばれし者だけが脚光を浴びて試合を行なう。だから、プロレスには勝負論よりドラマ性を感じる。

 私は、浜口京子の準決勝敗退、3位入賞が、他の女子レスリング選手の金メダルより輝いて見えたのに気がついた。各局の番組に煽られてか、「敗者の美学」も感じたが、京子には負けても株を落とさないタレント性、勝敗では計れない人情的な部分が潜んでいる。それにはアニマル浜口の存在は大きい。ある意味、京子はお父さんと一緒にいるときほど輝ける選手でもある。二人三脚が功を奏したいい例でもある。
 準決勝で京子が負けたとき、アニマル浜口は身を乗り出して抗議した。周りの観衆には「本当に“アニマル”な野郎だ」くらいに映ったかもしれない。しかしあの熱さは、プロレスラー時代からずっとあのままの熱さなのだ。
 国際プロレスが倒産してラッシャー木村、寺西勇、アニマル浜口の3人が新日本プロレスに乱入し、当時人気の絶頂期にあったアントニオ猪木に喰いかかった。結果として、猪木は蔵前国技館で3対1のハンディーキャップマッチを行い敗退する。国際組が勝つのは見えていたが、ホントに勝ってしまうと観客から野次が飛んだ。そんな客に向かって、浜口は吠え返していた。そんな熱さが好きだったのだろうか、また同じアマレス出身者として実力を認めていたのか、別の試合では長州力がリンチ攻撃されているアニマル浜口を助けたりもした。

 親父譲りの熱さとセンス、タレント性、人情味、負けても株を落とさない雄大さは、トッププロレスラーでもなかなか身につけられない財産である。もし京子がプロレス入りを果たすのであれば、こんなに感情移入して応援できるキャラクターは稀である。女子プロレス界のホープとして活躍できるだろうし、個人的にはヒールであってもらいたい。またアニマル浜口がセコンドについたり、悪徳マネージャーに扮するとさらに面白くなる。

 浜口京子の試合を見終わって、こんなことを考えてみた。
 

Posted by DODGE at 2004年09月17日 17:30 in 2004.9〜12月