「自分の知らない言葉を話している人たちを見て、すごく興味をもったんですよ」。千葉県成田市で生まれ育った桐山にとって、アメリカは遠くて近い存在だった。成田空港近くにあるアルバイト先のホテルで外国の人たちを間近に感じていた桐山。
そんな桐山が高校を卒業して目指したのはアメリカだったという。「英語も話せませんでしたし、お金もほとんどありませんでしたから……今考えると無謀でしたね」。当時を思い出して笑う桐山が最初に足を踏みしめた地はニューヨークだった。
日本では少年時代から印旗沼などでバスフィッシングを楽しんでいたという桐山。しかし、彼が話しているように渡米したころは生活するのが精一杯で、バスフィッシングどころではなかったそうだ。
その後、ニューヨークの大学に入学、そして卒業した桐山はカリフォルニアへと移り住んだ。ここでの桐山は日本のルアーメーカーの仕事をこなしながら、トーナメント参戦の機会をうかがっていた。そして、1998年1月にアリゾナ州レイク・ハバスで開催された、B.A.S.S.ウエスタンインビテーショナル(現在のオープン)に初出場を果たした。
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