2003/10/1
BASS、サザン・オープン第1戦

 
9月25〜27日にかけてBASSサザンオープン第1戦がアラバマ州レイク・ウィーラーを舞台に開催された。ウィーラーといえば、すでに5度BASSの大会が開催されており、1974年にはクラシック開催湖にもなっている。オープン戦を主戦場とする“ツアー予備軍の選手”にとっては、同湖はいわば登竜門的なフィールドと言っていいだろう。ここで踏ん張ってこそ、来季ツアーへの昇格も見えてくる。オープン・レベルのアングラーにとっては、どうしても勝ちたい一戦といえよう。しかし、オープン戦には多数の有名ツアープロも参戦している。そう簡単に勝たせてもらえるはずもない。

 まず最初に、レイク・ウィーラーは元々はジョー・ウィーラー・リザーバーとして呼ばれていただけあり、テネシー・リバーを堰き止めたダム湖である。アラバマ州北部に位置し、ラージマウス、スポッツ、そしてスモールマウスと釣り上げるターゲットは多い。規模としてはアラバマ州で2番めに大きいフィールドで、一時期はアメリカ国内の「1度は訪れたいバスレイク・トップ10」に入るほどだった。しかし90年代中期に転換期が訪れる。ウイードの群衆が激減し、それに加えてベイトフィッシュも減少。バスにも大きく影響した。その後、1997年にはLMBV(ラージマウスバス・ウイルス)が広まりバスの個体数はさらに減少する。以来、状況はよくなってきているというが、現状ではタフなレイクのひとつだろう。
 本戦に向けてプラクティスをする上で、もっともアングラーを泣かせたのは水位の変動だったという。プラの大半は3ftほどの減水で、本戦前日はフルの状態に戻ったが、本戦初日にはまた2ftほど減水したそうだ。加えて、風の影響で有名スポットのバスは予想不可能な動きをしていたという。波乱の形相が目に浮かぶ。
 
 初日トップに立ったのはトラビス・ロイドで3Lb02ozをウエイイン。彼は水位が高くなった瞬間をねらって某スポットに入ったが、試合中に水位が下がったため、そこから出られなくなるところだったと語った。2位にはジム・マウリーJr.、3位に地元のティム・ホートンが入った。

 そして2日め首位に躍り出たのは、前日3位のティム・ホートンだった。この日、水位変動は試合時間にも発生。ホートンは初日とはまったく異なったテクニックを駆使し見事トップに上り詰めた。2位にはベテラン、デニー・ブラウアーが浮上し、ロニー・レイ、ドナルド・イートンと続いた。
 ホートンの初日のパターンは、フラットスポットをバズベイトでトレースすることだった。初日はここで20尾のキーパーを手にするが、2日めは1ft 以上の減水でバイトがなくなってしまった。バズベイトでは1尾しか釣れず、他のエリアを廻ったという。ホートンは、トーナメント・アングラー転身以前はここレイク・ウィーラーでガイドをやっていた。その経験を生かし、瞬時にエリアを選定。2日めのメイン・パターンとしてクランキングを導きだした。

 サザン・オープン第1戦3日め、やはり経験がモノを言うのか。デニー・ブラウアーが優勝することで、サザン・オープン第1戦は幕を閉じた。およそ1年前、ブラウアーは入退院を繰り返す調子だった。そんな彼は完全復活をかけて、バスマスター・ツアー最終戦アラバマ州レイク・ユーファウラ大会に臨み、見事優勝した。そして、1年後、彼はまたアラバマ州で開催された大会を制したのだった。
 最終日、ブラウアーはリミットメイクできず、4尾のウエイインとなった。しかしティム・ホートンに14ozの差をつけて退け、勝利を手中にした。
 ブラウアーのパターンは、プラで見つけておいた上流部のクリークでピッチングとフリッピングを繰り返すことだった。ところが、大会直前に雨が降ったため、彼のクリークは壊滅状態になってしまった。本戦初日、彼はそのエリアとはまったく逆の方向、レイク下流部でリミットを獲ることに専念し、9Lb2ozをウエイインする。しかし、「これでは勝てないと」と2日め、「クリークに戻ろう」と決心する。この日、彼は13Lb15ozをウエイイン。ブラウアーのディシージョン・メイキングが吉と出た。最終日もここで4尾を釣り上げ、大会を制覇した。
 
 今後サザン・オープンは、10月にフロリダ州レイク・オキチョビー、11月にアラバマ州レイク・ユーファウラで大会を開催する。総合順位のトップ20は12月に開催予定のオープン・チャンピオンシップにクオリファイされる。ブラウアーは昨年度のレイク・ユーファウラを制しているのもあり、第1戦の優勝もあり、現在彼が断然優勢に立っているといっていいだろう。