恐るべしボータールーキー、安藤毅。
だが今はもっと悔しがるときだ

 アングラーは日々成長している。特に若手の会心プレーには目を見張る。たとえば、昨シーズンは稲葉隆憲さん、荘司雅之さんが優勝を飾り、中嶋美直さん、草深幸範さん、金光忠実さん、そして安藤毅さんがクラシック出場を果たした。彼らはともにデビュー1、2年の超若手で、W.B.S.の次代を担う貴重な人材でもある。その中でも記者が特別期待をかけるのが安藤さんであるのは、クラシック・レポートからもわかるだろう。
 「ノンボーターでありながら、なぜあそこまで強いのか!?」。4年間にわたるノンボーター時代にクラシック出場を2度経験し、しかも両年ともノンボーター枠を1位で通過した。昨シーズンだけを見ても、優勝が2回に、3位が1回。単純に「間近で釣りが見たい」という願望から、クラシックではオブザーバーを自ら希望した。昨シーズンのクラシックでは見事2位に入賞し、多数のアングラーに彼の高い潜在能力を見せつけた。
 若い世代のアングラーたちは、日を追うごとにたくましくなっている。ベテラン選手のように経験があるわけでもなく、若手は自分自身ですべてを開拓しなければならない。甘えの許されない環境に身を置くことで、「俺のパターンはこれでいいのだろうか」と試合ごとに悩むだろう。

プラクティスは、やればやるだけなんらかの成果を与えてくれる。無駄なことなどなにもないのだ。自分でやらなければ、明日は来ない。特に今シーズンからボーター登録で参戦する安藤さんには言えることだと思う。ノンボーターのときとは、人生観……少なくともバス釣り観のスイッチングが必要だっただろう。
 ボーターとして勝つには何が必要なのか。自分に欠けているものはなにか。これらの答えは1年や2年、いやこれは、バス釣りを継続するかぎり付きまとう哲学的な部分である。一生かかっても答えは出ないかもしれない。ただ、節目節目で、方向性は見つけられるはずだ。
 
 トーナメント観戦の神髄は「誰が勝つのかなぁ。○○さんなら、何kg持ってくる気がするね」と予想するところにある。要するに、誰が勝つのかと幻想を持つから実際の試合を観戦するのが楽しみになる。ところが、あるアングラーが、シーズンを通して上位を独占し、AOYを獲得、そしてクラシックまでも勝ち取ってしまった。峯村光浩さんである。タフな霞ヶ浦でコンスタントに上位に食い込むのは偉業と言っていいだろう。2冠王に君臨するスゴさも理解しているつもりだが、私はドラマチックな展開が起こりそうにない“安定政権”を強く嫌った。間違ってほしくないのは、私が峯村さんを嫌いと言っているわけではない。1人の選手がオイシイところを全部持っていくことに、ドラマ性を感じないと言っているのだ。ゆえに、誰かが峯村政権をブッ潰さなくては、革命は起こらない。
 では誰が、彼の首をねらうのか……。昨シーズン、峯村戦略の看板として定着した“鉄板の川”は、第1戦、“打倒・峯村”を誓うアングラーで溢れかえった。野田昌直さん、宮本英彦さん、
 
松村寛さん、香取潤一さんも向かったと聞いているし、その他にもアルミボートが数艇浮いていたという。そしてここに、昨年クラシックで同じエリアで勝負に出て釣り負け、悔し涙を流した安藤毅さんの姿もあった。

 「正直に言うと、昨日(試合前日)は全然眠れなかったんですよ。10時に布団に入ったら、12時に目が覚めた。それ以後は寝れなくて、クラシックのときより緊張してたんでしょうね。『あの川にはみんな入るんだろうなぁ。自分は入れないだろうなぁ』って、もうドキドキして寝ていられなかった。だから、バックアップのプランを考えてたら、朝になりました」と安藤さんは振り返る。
 

 「自分のなかには、たとえ先行者がいてもあの水路で釣る自信がある」と述べる安藤さんは、まずは例の“安藤小説”を優先させた。古渡の岬を曲がって奧へ進む。風裏に指針を向けた。「水路に入るまでに1尾釣り上げておく」と宣言した。鬼気迫る集中力で2340gを水揚げした。安藤さんの予言は、またしても的中。その後、大山の魔境に船首を向けた。だが、安藤予言は、水路の銀座状態まで的中させていた。

 「検量が終わって、2位になってることがわかって、『(1尾で2位は)申し訳ないなぁ』って思ったんです。でも2位だったし、ヨシとするかって、ステージに上がりました。でも自宅に帰る途中、車のなかでメチャクチャ悔しくなってきて、またやけ酒しちゃいました(笑)。先に(水路に)入ってた人が何人かいたんですけど、ぐずぐずしている間に時間が過ぎちゃって、結局(思うように)できなかったんです。絶対釣る自信はあったんですけど、あそこで踏ん張らないで、古渡に戻れば釣れたかもしれない。敗因は諦め切れなかった自分にあると思います。また1つ、霞ヶ浦から教えられました」。
 安藤さんや中嶋さんのような若い世代が劇的な躍進を遂げたことで、熟年アングラーが若手を見る意識も変わってきた気がする。第1戦のウエイイン時にも、ヤングライオンたちのボートがステージの前にくると、1歩でも前で見ようと観衆がカメラマンたちの横まで押しかけ、緊迫した雰囲気を作り出していた。
 ビッグフィッシュを釣り上げたことで安堵した気持ちは痛烈に伝わった。だが、今はもっと悔しがるべきだ。負け惜しみを言うのではなく、厳然たる事実を真っ正面から受け止め、這い上がってきてほしい。W.B.S.の未来は、若い世代に託したい。しかし中堅アングラーとの切磋琢磨なしに、ベテラン勢を追い越すことはできないだろう。ただ1つ言えるのは、安藤さんは今回、水路以外で釣り上げたバスで打倒・峯村を果たして見せた。それは、堂々と胸を張れる結果だと思う。

山田貴之さんが、本当にやりたかったこと

 「本湖で負けたら腹を切る思いでやります」。侍じみた台詞。それがヤマダイズムである。
 W.B.S.クラシックXII直前の2003年10月初旬、山田貴之さんはそう心中を語ってくれた。自ら「ストロングな釣りが好き」と主張する山田さんだ、タフと語られる本湖で勝負したとしても、それなりの結果を残すのだろうと予想していた。
 一方で、昨シーズンは流入河川でのパターンが好釣果を収め、上位入賞をもたらした。プロアングラーである以前に、山田さんも一人のアングラーである。1尾のビッグフィッシュも嬉しいが、釣果に恵まれる結果も捨てがたい。クラシック・クオリファイだけを見据えて釣るのであれば、サイズダウンを覚悟して、川パターンを取り入れてもいい。しかし、「せっかくビッグレイクでやるんだから、本湖でパターンを組んだ方が面白れぇよ」と不屈のストロングスタイル、ヤマダイズムを公言した。
 そんな威信を死守すべく、クラシックでは本湖を舞台に展開を組むが、見事に粉砕され、初日はノーフィッシュ。2日めは、ふっきれたのか、川に入ったという……。クラシック2003は12位に甘んじた。

 いまのように情報網が発達した時代にあっても、実際に自分の目で見て、肌で感じなければ、「川とは何か」を実感することすらできない。「ならば1度、川にもっと着眼してみるか……」。山田さんは、“霞ヶ浦を釣る”ためだったら、なんでも吸収したいという情熱の持ち主なのだ。ダイナミックなパターン、霞ヶ浦を縦横無尽に走り抜ける展開、だがそこには、今見つめなければならない釣りもあるという現実。それら1つひとつを体感することで、モチベーションを高めていった。
 
 クラシックが終了した翌週末、山田さんは臭覚のおもむくままに動いていた。今シーズン第1戦に向けて流入河川視察の旅に出ていた。プリプラクティスというより、各川のポテンシャルを調査し、そして予想以上の “過激さ”を目のあたりにする。
 まず驚いたのは、26ある霞ヶ浦の流入河川でバスの魚影が多い川、薄い川、ビッグサイズの多い川、ミドルサイズの多い川、記憶にすら残らない川があったことだった。どこも安定して釣れるだろうと思っていたら、意外とそうではないようだった。「これだったら、本戦で充分」と納得させられるほどの川もあった。

 昨シーズンの苦戦で溜まった鬱憤は、強烈なエネルギーとなって2004年シーズン第1戦で爆発させる予定だった。しかし運悪くフライト順は最終。強風が予想され、冬の定番水域には他のアングラーが先行し、山田さんは恋瀬川へ向かった。杭を10本ほど撃つと風が一段と強まり、シャローはニゴリはじめた。午前9時の時点で桜川に移動するが、ここでは川のなかでも白波が立つほど風の影響が強く、しかも流れが強いため、通常のエレキのパワーでは流れさてしまうほどだった。
 
 
 派手なパフォーマンスや気のきいたコメントを残すほうではない山田さんは、どちらかといえば地味な雰囲気さえ持っている。その頑固オヤジ的な背景には、本湖のスペシャリストとしての誇りがある。それでも今大会ではプラで廻った川筋戦略を再現させようと挑んだ。
 ハングリー精神という言葉を聞かなくなって久しいが、今の山田さんにはぴったりはまっている。ハングリー精神を剥き出しにすると格好が悪いと思われがちな現代社会。しかしそれはまったく時代遅れでもなければ、陳腐した表現ではない。むしろ、それが闘志の根元であり、トーナメントアングラーの原点なのだ。私は山田さんがどんな道を歩もうと、それがヤマダイズムだと思っている。少なくとも、この試合だけでは何も語れない。

 
どうしても伝えておきたい
吉田幸二さんが涙ながらに言った「なにもない」の意味


 W.B.S.では毎年、第1戦が開催される前夜にシーズン・オープニング・パーティーが開催される。ここでは前年度クラシック・チャンピオンの挨拶や、スタッフ・オブ・ザ・イヤーの表彰、ゲーム大会、新ルールなどの説明も行なわれる。この会の締めくくりとして、吉田幸二さんがステージに上がり、スピーチを述べたのだが、それは記者にとって衝撃的なものだった。吉田さんが涙ながらに、霞ヶ浦の現状、バス釣り全体に対しての思いを語ったからである。
 お酒が入っていたせいか、話はあっちに飛びこっちに飛びであったが、「なにもない……」と言いながら涙を流し語り続けた。吉田さんはクラシックのパーティーの際にも「なにも変わっていない」と述べていたのを思い出した。

 つり人社発行の「ブラックバス移植史」(金子陽春・若林務著)」によると、「新聞のタイトルを摘出してみると、古くは昭和七年九月二十二日に『鮎を殺す黒鱒』」とあったというから、バス害魚論は72年前にはじまっていたことになる。バスが芦ノ湖に移入されて6年後の記事である。以来バスの悪名は尽きることなく、現在まで続いている。
 吉田さんがバスプロ宣言をしたのは1983年の11月。ちょうど20年前のことだ。改めて宣言した理由を伺ってみると、
 「理由はいろいろあるんだけど、根本の部分は『責任を持って行動します』ってことを宣言したかった。それで“プロ”という言葉を使った。当時はね、ちょっと英語ができる連中がバスマスター・マガジンとかを呼んで、『アメリカではこんな風に釣ってるようです』って日本の雑誌に書いてたんだよ。それで何かあってツッコまれると、『あれは、そう書いてあったから……』と逃げるんだよ。俺なんかに言わせれば、なんで自分で実際に釣ってることを書かないのかって感じだった。記事でもなんでも責任持ってやらないと、後輩が育たないじゃないかって。いつも言ってるけど、もし俺がバス釣りに出会ってなかったら、道を踏み外してたかもしれない。だから、バス釣りはそれだけ影響力があるんだよ。いい道をバス釣りに教えてもらったんだから、その本当の意味を責任持って伝えていかないと、バスだけじゃなくて、バス釣り自体も否定されちゃうじゃん。それって悲しいし、俺の人生を否定されてるみたいでしょ。俺がバスプロ宣言して20年が経って何か変わったかっていったら、バスは害魚のままだよ。少なくとも『バス釣りやってる人はゴミを捨てて行かない』って、世間的に認めてもらいたいって思ってるけど、(何も変わって)ないよね。
 昔ね、沈みそうな漁師さんの船が置いてあって、『釣りがしたいんで、借してください』って言って借りたことがある。帰り際に船を借りたから、ありがとうございましたって、少ないけど1000円渡そうとしたら、いらないって言うんだよ。でも、そこに1000円置いて帰った。次に行ったときも借りて、また1000円置いてったら、『にいちゃんたち、コレ持ってけ』ってスイカとか、いろんなもんくれるだよ。言いたいのは、礼儀正しくして、コミュニケーションを取れば、向こうも同じように接してくれるということだよ。
 今ね、魚道の問題(霞ヶ浦北浦魚道設置推進基金)があるけど、バスアングラーと漁師さんたちが手を取り合おうとしてるでしょ。やっと、『変わるかもしれないな』って思ってる」と語ってくれた。
 
 「吉田さんは、年を取ってから涙もろくなった」という話がチラっと聞こえたが、私はそれだけではないと思っている。
 あの涙は「俺は過去20年間で後輩のお前たちに何もしてやれなかった」なのか、「お前たちも霞ヶ浦でプロとして活躍するアングラーなんだから、本気で守ろうよ」と訴える涙だったのか。あの「なにもない」の意味は、どのようにも取れる。ただ、あれはニセモノではなく、本物だった。

 その気持ちを強く受け止めたアングラーがいた。林俊雄さんである。ノンボーターとして出場した林さんは、「後ろで釣っていると、いろんなことを考えた」と言っていたが、霞ヶ浦の今後についても考えていたはず。そうでなければ、優勝スピーチの際、「僕も頑張って署名を集めますので、みんなも協力してください」という言葉は出てこないはずだ。
 バスアングラーがバスを、そしてバス釣りを守るためにできること……。卓上の理論ではなく、行動で示すときが来た。そのためには私自身も協力し、努力を惜しまないつもりである。自分のことしか考えない。自分の団体のことしか考えない。次の世代のことなんか知ったこっちゃない。そうなったら、この世界は終わりである。頭ではわかっていても、なかなか行動に移せないのが人間である。ただ救いだったのは、まだ「なにも(はじまって)ない」こと。そして今、やっとスタート地点に立ったことだろう。
 第1戦の朝5時、吉田さんは岐阜県大江川で行なわれた清掃活動へと旅だった。初戦を見届けることなく、バスを守るための“行動”に出たのだ。吉田さんの情熱はW.B.S.の選手にも伝わったのだろう。

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