おかえりなさい、川口信明さん、林俊雄さん

 今年4月から施行された琵琶湖の条令により、小規模の大会はいまだ行なわれているようだが、メジャー・トーナメントの開催は自粛の一途を辿っている。一般アングラーたちは「大会がなくなって、バスが釣れるようになった」と言っているそうだが、「何か後ろめたい気持ちもある」という。ルール厳守という前提があって成立するバス釣りトーナメントだけに、条例が制定されたのなら、それを守るのもアングラーの使命である。ポジティブに捉え活路を見いだそうとしている人々も少なくない。
 霞ヶ浦をベースとするW.B.S.と吉田幸二さんは、地味ではあるが、霞ヶ浦を愛するがゆえにはじまった清掃活動を長年続けている。「『あいつは昔、悪いことばかりやってたから、今は罪滅ぼしのつもりで(ゴミ拾いを)やってるんだ』って言う人がいるんだよ。でも、誰かがやらないとキレイにならないんだよ。何て言われようが別に気にしないようにしている。霞ヶ浦にとってよかれと思ってやってるから。霞ヶ浦が好きだからやってるんだよ」と語っていたのを思い出した。清掃活動は霞ヶ浦だけに止まらず、吉田さんの志は全国各地に飛び火し、地元の勇士に受け継がれている。
 そしてW.B.S.は昨年、環境にやさしいとされる4ストローク・エンジンを率先して取り入れるため、早くも動きを見せた。これも霞ヶ浦のため、そして気持ちよくバス釣りを楽しむためのものである。
 
  ところが、団体やアングラーがどれだけ頑張っても、霞ヶ浦の水質は一向によくならない。それどころか、コイヘルペスウイルス(Koi Herpes Virus:以下KHV)が発生し、大量の養殖コイが死亡した。水温によってその活動を活発化させるといわれるKHVは、80%の確率でコイの生命を奪うという。感染ルートが解明されたところで、死んだコイは戻ってこない。バスアングラーにとってコイは釣りのターゲットではないが、バスと同じ水域に棲息しているため、複雑な思いを抱いた人は多かったことだろう。
 水温低下が進めばKHVの猛威も沈静化すると言われているが、今後KHVが盛り返さない補償はどこにもない。ましてや、霞ヶ浦水系全体の生態系にも影響を与えたことは間違いないのだ。前代未聞の霞鯉絶滅の危機に煽られ、水質悪化は吉田幸二さんの努力を踏みにじる方向へと突き進んでいる。行政の対応は遅く、市民の声がようやく届いたころには手遅れの状態だ。“乱獲”によるバスの激減、アメリカナマズの急増、純然たる霞ヶ浦のバス釣りは、衰退の系譜の辿るのか……。
 

「27チーム・ノーフィッシュ」の悲惨劇を掻き消す、川口信明/林俊雄の頑固な意思表示


 頭の中に、第1戦のウエイインの情景が残っている。笑顔を見せつつも肩を落とす宮本英彦さん、立ちつくす大藪厳太郎さん、何度もウエイインボードを確認する峯村光浩さん、そして検量以後一向にボートを離れようとしない山田貴之さん。哀愁があって、切ないいくつもの光景が浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。思い出とはワガママなもので、楽しかったことを思い出して、「39チーム中27チームがノーフィッシュ」という事実を忘れようとしても、虚脱感が舞い戻ってくる。
 1尾も持ち帰ることなく大会を終えた選手を見るのは、毎試合、儀式的なもので、驚く必要もない。しかし前述したように、今の霞ヶ浦は壊滅状態にあり、私は心のどこかで最良の試合結果を求めていた。ところが、結果はW.B.S.史上最悪ともいえるほどの大波乱になった。端から見れば、プロトーナメントとは思えないほどの結果である。
 記者として何年も同じ団体を取材していると、「ナイショにしておいてね」と言って、秘密の釣り方や場所を教えてもらえる。よく言えば記者と選手の信頼関係が生まれたと表現できる。彼らへの感情移入はただものではなく強烈で、彼らが釣れていないときは私も悔しく、風が強くなれば本気で大丈夫だろうかと心配する。私は編集者である以前にバス釣りファンである。それゆえ、あの結果は試合を闘った者だけでなく、取材をし観戦した私にも疲弊感が伝わっていた。
 ところが、唯一そんな悲惨な光景を忘れさせてくれることが大会終盤に起こった。川口信明/林俊雄チームの優勝である。

 川口さんと林さんは、ともにストロング・スタイルを象徴するかのようなアングラーである。2人がまさか初戦で組むとは、まったく予想していなかった。確かに組み合わせは厳選なる抽選によって決定する。昨シーズンもこれに劣らずスーパーチームが結成され、当サイトでも話題とした。だが、この2人はあまりにもスタイルに共通点が多すぎるし、我の強さがぶつかって、いい方向へ進むかどうかは疑問だった。が、それは要らぬ心配だったようだ。
 本湖の釣りが年々難しくなり、多数のアングラーが川筋へと戦術をシフトしている。それでも彼らは頑固なまでに本湖にこだわった。それは「自分の好きな釣りをしたいから」と「嫌いな釣りをしてまで勝ちたくないから」だという。頑固、強情と言うと聞こえが悪いが、それがストロング・スタイルなのだ。
 彼らもその方向性を貫くことに疑問を感じる時期もあったかもしれない。本来であれば精神的なダメージを引きずっていてもおかしくない。ところが、昨年の不調を吹き飛ばすかのように、今年はストロング・スタイルを持ってして彼らの存在感という凄味を見せつける表彰式となった。
 川口さんと林さんが他のアングラーに勝っていたものは、優勝への執念と霞ヶ浦への愛情だった。それは吉田幸二さんに負けずおとらずの霞愛である。優勝決定を知らせる集計結果が本部に掲示されると、苦労を共にした友(ライバル)が彼らに祝福の声をかけた。長らく覆い被さっていた鬱屈とした雰囲気が吹き去った瞬間だった。

 「『5尾で5000g。最悪でも3尾は釣る覚悟を決めてやろうね』って話してたんですよ」と林さん。「今の状況じゃ、どこに行っても難しいのはわかってるし、僕自身、川口クンのスタイルもわかってるし。だったら彼の釣りたいようにやってもらって、できるだけ後ろからフォローを入れられればなって思ってました」と加える。
 W.B.S.に加入して12年、林さんがノンボーターとして大会に出場したのは最初の数回だという。自分でも何年に何回ノンボーターを経験したのか、はっきり覚えていないというくらい、彼はボーター職を勤め上げてきた。その彼が我を殺して、ノンボーターに徹するというのだ。林さんほどのベテランになれば、たとえパートナーが川口さんであったとしても、「自分の釣りを自分のエリアでさせてくれ」と言えたはずだ。
 
 
 しかし、川口さんは「釣れてなくて僕の覇気が薄れてきたのを見て、後ろから『大丈夫だって。(場所も釣り方も)間違ってないから』って林さんが声をかけてくれるんです。スゴいやりやすかったし、勇気づけられた」と語っている。
 牛渡の桟橋でバスをかけたときは、桟橋の向こう側に投げて釣っていたため、ラインがスレて貴重な1尾をラインブレイクでミスしそうにになった。そんなときは、川口さんがロッドを持ちラインテンションをかけ、林さんがエレキを操作しながら、桟橋の下に船首を突っ込むかたちでランディングに成功した。
 「3尾・3830gで優勝するとは、思ってもいなかった。でも、牛渡に行けば確実に何尾が獲れるだろうって思ってました」と川口さんは言う。2尾は本湖で、1尾は川で釣り上げた。
 「川には行きたくなかった。やっぱり本湖で勝負したかった。でも、風が強すぎたし、移動は必然だった。それより僕は今まで冬の釣りを定番化してた。捨て網を撃って、釣れようが釣れまいが、そこで1日が終わってた。試合が終わったあとに、『他の場所も行けばよかったな』って後悔してたんですよ。だから、今年は川に入ってみた。狭いし、ダイナミックじゃないし、基本的に嫌いですよ。でも、何か新しいものが発見できるかなって。自分でいうのもなんですけど、ちょっとは成長したなって(笑)」。
 ここのところ、流入河川を主戦場としているアングラーが目立っていたが、川口/林組の勝利で「本湖健在」が証明された。そもそも今大会の大波乱劇は霞ヶ浦の冬の風物詩として悪名高い北西の風、しかも強風によってバスが沈黙したことにある。松村寛さんは「バス以外の釣りをしているおっちゃんとかも、よく言ってますよ。北西から吹くと食わねぇんだよなって。W.B.S.でも北西が吹いたときは、あまり結果がよくなかった」と語った。しかも今回は、身の危険を感じるほどの強風だった。そのために、バイトすらなく終了せざるをえなかったアングラーも多数いたのだ。
 多くのノーフィッシュ組が続出した大会であったが、久しぶりの本湖パターンでの勝利。よくも悪くも “語れる試合”となった。

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