松村寛 vs 桂裕貴。'96年デビュー組の遺恨対決 W.B.S.が発足して6年が経った1996年。数名の選手が同団体でプロアングラー・デビューを飾った。最近よく耳にする「よく釣れていた時代」に参戦を開始した者たちである。パターンフィッシングが成立し、湖底変化の乏しい霞ヶ浦をどれだけ熟知しているかが、勝利の方程式だった。 そんな時代にデビューを果たした松村寛さんと桂裕貴さんは、互いにライバル意識を剥き出しにしていた。松村さんは、当時を振り返りこう語る。「勝ちたい気持ちは当然あったけど、桂さんだけには絶対に負けたくなかった」。 同期としての意地がある。たとえ自分が10位でフィニッシュしたとしても、桂さんがそれ以下の順位であれば、なんとなく納得できたとも語っている。 ではなぜ、この大会レポートで彼らを追ったのかを説明しておこう。 basswaveが独自に収集したデータによると、松村さんは毎シリーズ第3〜4戦(4〜5月に開催の試合)にかけて調子がよくなっているのがわかる。逆にいえば、第1〜2戦、要するに冬期大会では厳しい結果を残している。これには本人も認めるところだ。「個人的に得意な釣りはシャロー。特にスポーニングからアフターにかけては、自分で言うのもあれですけど、優勝してもおかしくないくらい気分がノッてます」と述べている。 一方で桂さんは、浚渫、岩盤の釣りを得意とする。有名スポットに数艇のボートが浮かんでいたとしても、彼はそのスポットで釣り勝つ実力を持っているのだ。さらに霞ヶ浦南岸エリアが彼の真骨頂を発揮できる場だ。南岸が生きるシーズン、それは北東の風が収まり、南風が吹き出すとき。つまり、4〜5月は桂さんにとっても勝機が上昇する時期と考えていいだろう。彼も第3〜4戦にかけて好成績を残している。 2000年シリーズ第4戦(ツーデイズ)、桂さんは初日8000gを持ち込んだ。松村さんは6460g。最終日、桂さんは6790gとウエイトを落とし、松村さんは8650gという怒濤のウエイトを持ち込み、見事初優勝を飾った。桂さんは2位で終わる。 本戦2週間前、2人にプラの状況を伺ってみた。お互いにいい感触を持っており、激しいせめぎ合いになることは間違いなかった。彼らの間における勝敗は、どちらがより上位でフィニッシュしたかで決定する。「ベストは、桂さんが2位で、僕が彼に20gくらいの僅差をつけて優勝したい」と松村さんはコメントを残した。ただしここ2年間の2人の成績を見返してみると、桂さんが松村さんより上位で大会を終えている方が多い。はたして、今回は……。 では、その2人のバトル、第4戦の結果をお伝えしよう。 松村寛さん、6尾・3490gで7位。桂裕貴さん、2尾・1550gで23位。松村さんが圧倒的な強さを見せて快勝した。 松村さんのエリアは、牛堀のシャロー。同大会を制覇した荘司雅之さんとほぼ同じエリアである。桂さんは、強風のため得意とする南岸エリアに入ることができず、バックアップエリアで奮闘するも、イメージしていたウエイトには届かなかった。今大会は全体をとおして、ウエイトが伸びなかった。これは風の影響で多くの選手がプライマリーエリアを捨てざるをえなかったところにある。 桂さんは言う。「今日で松村君との勝負は終わったとは思ってませんよ。次はツーデイズですから、いいウエイトを持ってきて、年間順位もひっくり返したいですね。できれば、お互いクラシックに出て、その場で彼に勝って、なおかつ優勝したい」。 …… '96年組の闘いはまだまだ続く。