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W.B.S.第4戦
 
荘司雅之、悲願の初優勝
ボータールーキー優勝一番乗り


荘司雅之/安藤毅チーム5320gで優勝

 W.B.S.プロチーム・トーナメントが5月25日に開催され、荘司雅之さんが初優勝を飾った。彼は今季からボーターとしてW.B.S.プロチーム・トーナメントに参戦する選手である。
 優勝チームの名前が呼ばれ、ステージに駆け上がる。取材陣による写真撮影が行なわれているとき、荘司さんの手に持つウイナーズプレートが揺れていたのに気がついた。
 「ダメだ。(緊張して、感動して)手が震えてる」と彼は小声で呟く。自分では気持ちを落ち着かせていたつもりだったが、実際にステージから見下ろす景色は、いつもの見上げる景色とはまったく異なっていた。MCが話しかけても聞こえていないようすだ。
 「何を言っていいのか。頭の中が真っ白です」と恥ずかしそうに切り出した。
 荘司雅之に遅い春がやってきた。

 「第4戦はなんとか乗り越えたい」。誰もがそう思惑する佳境の一戦だった。グッドサイズなバスから産卵を終え、ポストスポーン、さらには回復した個体までがシャローからミドルレンジを遊泳していた。ここ数ヶ月間、霞ヶ浦におけるバス釣りの釣果は、俄然右上がりに伸びている。サイズは小さいものの、よく釣れていると誰もがプラクティスの感触を口にした。荘司さんもそれを一早く感じ取っていた。
 彼はプラのようすをこう答えている。「こなせばこなすほど、バスのサイズがよくなっていった」。大会を10日ほど前に控えたある日、「このまま本戦に入れば、6kg台も可能」とまで判断を下していた。
 
 荘司さんを優勝へと導いた原動力。それは彼自身の努力に他ならないが、彼の魂に火をつけた3選手の存在も大きい。狩野敦さん、稲葉隆憲さん、そして今大会のパートナー、安藤毅さんである。
 狩野さんは荘司さんにW.B.S.参戦を薦めた張本人である。過去にNBC茨城、霞ヶ浦チャプターへの参戦経験もある荘司さんだが、W.B.S.では満足のいく結果が残せていなかった。今年からボーターとして参戦しているため慣れないのも当然である。しかし狩野さんの期待は大きかった。そんなとき、もちろん冗談だが、狩野さんは好成績を残せない荘司さんを「名もなき虫」と呼んだという。この一言が荘司さんの野心を叩き起こしたのだった。
 こう言われて笑っていられるプロアングラーはいない。冗談とわかっていても、「だったら、本気のオレを見せてやる」と熱くならなければ、プロとして失格だ。狩野さんも、荘司さんに発破をかけることで、「いつまでも出場するだけで満足するなよ」というメッセージを送っていたのである。
 荘司さんがボートを預ける駐艇場には、W.B.S.参戦選手が多い。狩野さんをはじめ、大藪厳太郎さん(2002年度クラシック優勝)、山本寧さん(1998年度年間優勝)、松村寛さん、海藤真也さんらほか数名がいる。錚々たる顔揃えだ。そして同じボーター1年生であり、第3戦の覇者である稲葉隆憲さんも同じ駐艇場を利用している。
 稲葉さんの優勝は、荘司さんに多大な刺激を与えていた。同年デビューを飾り、同じNBC参戦の経歴を持つ稲葉さんに先を越されたのである。いい気分でいられるはずがない。確かに、ベテラン勢が持つ経験値は強力な武器である。だが稲葉さんはルーキーでも優勝できるという事実を証明してくれた。自分にもチャンスはあると感じる反面、強いプレッシャーがのしかかる。「プラを入念することで不安をかき消した」という言葉どおり、次第に練習量も増えていった。それが彼にできる最大限の努力だった。
 同大会パートナーを務めた安藤毅さんの存在も荘司さんにとっては、大きなプレッシャーとなった。安藤さんは第3戦終了時で年間成績トップ。「もし(第4戦で)釣れなくて、それが原因で彼がクラシック出場を逃したら、それは私の責任だと思われたくなかった。『あのとき釣れてればなぁ』って言われたくなかった」と荘司さんは語った。それだけは荘司さんのプライドが許さなかった。
 安藤さんは「仕事で海外出張に出ていたので、まったくプラに出れなかったんです。それを伝えたら、『(荘司さんは)仕事休んでプラに入る』って言ってました。(安藤さんのクラシック出場がかかっていたので)プレッシャーにはなっていたでしょうね。フラフラになるまでプラしたみたいです。スゴい意気込みを感じました」と荘司さんの意気込みを評価している。
 
 フライト順の関係で早めに自分たちのウエイインを終えた荘司/安藤チームは、ステージから少し離れた場所でウエイインを眺めていた。最後に会場へ現れたのは、早乙女剛/小関弘康チームだった。1尾、2尾とライブウェルからバスが取り出される。7フィッシュ、7アライブ。緊張感が漂る。MCが4440gとウエイトを宣言すると、荘司さんは「やったーッ!」と両手を天にかざし、安藤さんと包容し喜んだ。
 気づけば、荘司さんの周りをあの駐艇場仲間が取り囲んでいた。友であり、ライバルでもあるアングラーたちが、荘司さんの優勝を称えていた。しかしその中に、狩野さんの姿はなかった。彼は諸事情で今大会を欠場したいた。狩野さんはこの朗報をどう感じたのだろうか。きっと我が身の勝利のように喜んだことだろう。
 
 荘司/安藤チームは、釣れないと言われたコンディションで5320gをウエイイン。6kgという目標もほぼ達成した。2003年度ボーターデビューを果たしたアングラーは全5名。荘司さんは、2003年組として一番乗りの優勝を勝ち取った。
勝つための2つのストラテジー

 平成霞ヶ浦における最終兵器。それは、数年前では考えられなかったパターン、ライトリグである。ライトリグは主にクリアウォーターで使用頻度が高く、ハイプレッシャーレイクでは必要不可欠だ。マッディーとステインドウォーターの中間の水質を持つ霞ヶ浦では、どちらかといえば今までライトリグの出番は少なかった。だが、「『釣れないからライトリグを使う』というのは、ライトリグの正しい使い方じゃないと思います」と語るのは、荻野貴生さんだ。
 「ライトリグの使い方は簡単ですよ。それを使うシチュエーションに自分を追い込んでいるか、どうか。小さいものを発見してくれるような水のコンディションだったり、バスとの距離が見えていないと威力はでない」と解説する。
 要するに、マッディーウォーターの状況でタイニーベイトはバスから発見されにくい。ルアーが大きければ大きいほど、発見される確率は増す。つまり、スモールベイトを使用するということは、いかにバスの目の前にルアーを通せるかということであり、確実にそのスポットにバスが潜んでいるとわかっていないかぎり、ライトリグでバイトを得るのは難しい。荻野さんは、プラを詰めて、自分を追い込めば追い込むほどバスが見え、ライトリグで釣れる確率が上がると言う。ゆえに「釣れないからライトリグを使う」のは間違いということになる。
 
 では、第4戦覇者・荘司雅之さんのパターンを検証してみたい。
 彼の戦略は、ミドルレンジに浮いたバスをいかに釣り上げるかだった。プリからアフターのバスが密集するスポットを捜し出し、クランクベイトやスピナーベイトではバイトにいたらないバスを、ラバージグ(1/8oz)にパラマックス4in(エコギア)をトレーラーにしてスイミングさせた。
 通常、このテクニックは岩盤エリアで使用されることが多いが、荘司さんはクイが無数に点在するスポットで使用した。公式プラクティス日、彼はトレーラーにグラスミノー(エコギア)を用いたが、本戦当日はパラマックスにしかバイトがなかったという。
 これを荻野さんのライトリグ理論に当てはめてみる。「1:クイエリア、2:軽量ラバージグのスイミング、3:トレーラーにパラマックス」。「これにしかバイトしない」という究極のところまで追い込んでいたことになる。
 また、荘司さんは釣れる場所を三角形で結ぶことを考えた。ロングドライブは、時間を消費する。いくら釣れるエリアを持っていたとしても、移動中に魚は釣れない。そこで、今回彼がメインとしたエリア(牛掘)を中心に、その周りでバスの活性が高いエリアを捜し出すことにした。見つけたのは、牛堀、天王崎、和田の三ヶ所。この3エリアのトライアングルをバスのタイミングを見計らって、何度も入り直す戦法を取った。
 三角形の一辺一辺が短ければ、移動に消費する時間も少なく、イトを垂らす時間も増える。ただし、近すぎるとエリアが重なってしまう。三角形が四角形であれば、なおベターであるが、「多くのエリアを持てるほど、今の霞ヶ浦は甘くない。三ヶ所をグルグルした方が、バスの時合を見れていい」と荘司さんは語った。
スーパー・ノンボーター、安藤毅

 W.B.S.ではスーパー・ノンボーターというフレーズをたびたび耳にするが、過去にここまでスーパーな選手がいたとは思えない。安藤毅さんは、今年でW.B.S.参戦4年めとなる、ある意味、ノンボーターのベテランだ。
 彼もバスボートは所有している。購入したのは、W.B.S. に参戦する以前のことだ。2年めからはボーターで参戦できるルールがあるが、彼は「『石の上にも三年』という言葉があるように、とりあえずは修行期間として3年間はノンボーターをやろうって最初から決めてました」と言う。だが、今年もノンボーターで出場しているではないか。
 「去年の成績(ノンボーター枠年間総合順位23位)が悪かったので、もう1年修行するつもりで頑張ってるんですよ。ボーターを見て覚える部分も多いですから、よく観察してます」と語った。
 「昨年の成績が悪かった」と安藤さんは語るが、2001年度のノンボーター枠年間総合では1位を獲得している。タダモノではない。
 
 今シーズンも安藤さんは爆進中である。第1戦を1位、第2戦3位、第3戦9位、そして第4戦では再び1位を制覇。飛ぶ鳥を落とす勢いだ。ある選手は、安藤さんのことを「勝利を呼ぶ男」と呼ぶ。
 「第1戦のときは、柴(努)さんがプラで釣れていないってことだったので、私が知っているエリアに行きました。ここは第2戦でも行ったんですが、冬に強いエリアなんです。南岸なんですけど、北東の風のときに風裏になるんですよ。だから、バスもそこに逃げ込んできていて。去年の秋に見つけたエリアなんですけど、冬になったらいいエリアになるだろうって思ってました」と語る。それが的中して、優勝と3位という順位を獲得。
 第3戦ではリミットメイクに成功したものの、シングル入賞には一歩届かなかった。しかしその釣りは同大会のボーターだった出村輝彦さんにも影響していた。事実、出村さんが第4戦で2位に入賞した際、「前大会で安藤さんと乗ってときから運がついてきた気がして」とコメントしている。やはり安藤さんには何かあるのだろう。
 そこで伺ってみた。すると、ボーターとノンボーターの関係を密にすることが重要だという。ボート上のコミュニケーション。競技中によく話かけて、ボーターのテンションが下がらないよう心がけているそうだ。「特に釣れていないときはお互いにテンションが下がり気味になるので、なるべく話しかけて気分転換しています。そんなときに、『じゃぁ、私が知っているエリアに行きますか』と言えば、また気分が入れかわって集中力が持ちます」と語った。
 そのほか、ノンボーターにとって、ランディングは重要不可欠な仕事の1つである。安藤さんは、釣れていない日こそ確実にランディングをすることで、その1尾の嬉しさを分け合えると言う。
 また、タイム・マネージメントも安藤さんが率先してやるタスクだそうだ。ボーターが入ったエリアに着いたとき、そこで何分くらいやるのかなどを聞き出し、時間配分を考える。ボーターは他にもエリアを持っているわけで、その時間を考慮しボーターに時間の経過を告げるらしい。集中していると、釣れいなくとも時間が見えなくなる可能性が多いからだ。
 安藤さんの場合、バスボートを所有しているため、ボーターの気持ちが充分に理解できる。チームトーナメントである以上、勝つために必要なことをノンボーターの視点ではじき出してきた。一般的に表彰式で輝くのはボーターであることが多い。そのため、ノンボーターはボーターに照らされて輝く印象が強い。ボーターが太陽ならば、ノンボーターは太陽に照らされて輝く月。しかし安藤さんの場合、自分で光を放ち、パートナーをも光らせる作用を身につけている。それはすべて苦節の4年間に得た証だ。
 
 安藤さんは、第4戦終了時点でノンボーター部門の年間成績で暫定1位に君臨している。W.B.S.カスミ・クラシックへはノンボーター枠から上位3位まで出場できる。現在2位との差は8200g、3位とは11950g離れている。残りは最終戦を残すのみ。安藤さんのクラシック・クオリファイは、天変地異が起こらないかぎり、ほぼ確定したといえる(今のカスミでは天変地異もありうる!?)。
 私は今、純然たる安藤さんの釣りが見たい気持ちでいっぱいだ。もし彼のクラシック出場が確定したならば、W.B.S.オフィシャルへ安藤さんのオブザーバーとして同船の許可を得るつもりである。
 最終戦の安藤毅から目を離すな!
早水彰、中嶋美直に注意せよ!

 今年は、今季ボーターデビューを果たした選手が猛威を奮っている。第3戦ではノンボーター枠で出場となったが稲葉隆憲さんが優勝、第4戦では荘司雅之さんが優勝した。ともにボーター1年生である。そして早水彰さん、中嶋美直(なかしま・よしなお)さんも優勝まではいかないものの、ベテラン勢を唸らせる奮闘ぶりを見せている。
 早水さんは、第3戦でボーターデビューを果たした。理由は昨シーズンの第3戦からノンボーターとして参戦したため、今シーズンも途中からボーターへ転向することになった。
 彼は15歳9ヶ月で小型4級船舶免許を取得。レンタルやアルミボートを経由し、22歳のとき待望のバスボートを購入。現在はJBイースタン戦にも参戦している。
 初戦となった第3戦、彼は5尾で2450g、17位という好成績を残した。第4戦では3尾で1440gと不本意な成績を残したが、今後彼が追い上げてくる可能性は高い。
 
 そして中嶋さんといえば、昨年までスーパー・ノンボーターと呼ばれていた選手の1人である。彼は4年間にわたりW.B.S. オフィシャルスタッフを経験してから、トーナメントへ参戦した。過去の戦歴としては、某マリーナが主催する大会にてアングラー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。この大会には、W.B.S.やJB参戦プロも多数出場していることから、その年間優勝の意義は重い。鳴り物入りのデビューとは、このことである。
 第2戦から中嶋さんはボーターデビューを果たし、その初戦の初日を1位で折り返した。最終日にはウエイトを落としたものの、4位に入賞。第3戦ではリミットメイクを達成し、再び4位入賞を獲得。あの松村寛さんに「この人は釣りがウマい」と言わせた。第4戦は3尾のみのウエイインとなったが、8位でフィニッシュし、現在年間順位の暫定3位を確保している。期待度100を越える超大型ルーキーであることは間違いない。

最強チームの結果や如何に!?

 
 2003年度W.B.S.プロチーム・トーナメントでは、予想をはるかに超える豪華なチーム編成がいくつか実現している。第3戦では山田貴之/桂裕貴チーム、本山博之/西村嘉高チームが登場した。オフィシャルの横山鉄夫さんによると、ペアリングはW.B.S.オフィシャルが「“最新技術を駆使して開発されたマシーン”を使用して公平に組み合わせが決定する」とのこと。つまり、すべては偶然の産物であるため、そう簡単にはこれ以上の組み合わせは起こらないと思っていた。
 ところが、第4戦ではこれ以上はありえないペアリングが実現してしまった。林俊雄/鳥澤徹チーム、谷中洋一/山本寧チーム、そして宮本英彦/本山博之チームである。彼らは組むこと自体が反則のタッグ。B.A.S.S.でいうなら、リック・クランとラリー・ニクソンが、あるいはケビン・バンダムとジェイ・イエラスがチームトーナメントに出場するのと同じようなもの(?)である。
 今回上記の最強3チームは上位に絡む結果を残せなかったが、試合開始前から「どんな試合展開を見せてくれるのだろう」と期待に胸に踊らされた。もしここで宮本英彦/本山博之チームがダントツで優勝したりすれば、また新たな伝説ができただろうが、それは次回以降のお楽しみとなった。
 
 

松村寛 vs 桂裕貴。'96年デビュー組の遺恨対決

 W.B.S.が発足して6年が経った1996年。数名の選手が同団体でプロアングラー・デビューを飾った。最近よく耳にする「よく釣れていた時代」に参戦を開始した者たちである。パターンフィッシングが成立し、湖底変化の乏しい霞ヶ浦をどれだけ熟知しているかが、勝利の方程式だった。
 そんな時代にデビューを果たした松村寛さんと桂裕貴さんは、互いにライバル意識を剥き出しにしていた。松村さんは、当時を振り返りこう語る。「勝ちたい気持ちは当然あったけど、桂さんだけには絶対に負けたくなかった」。
 同期としての意地がある。たとえ自分が10位でフィニッシュしたとしても、桂さんがそれ以下の順位であれば、なんとなく納得できたとも語っている。
 
 ではなぜ、この大会レポートで彼らを追ったのかを説明しておこう。
 basswaveが独自に収集したデータによると、松村さんは毎シリーズ第3〜4戦(4〜5月に開催の試合)にかけて調子がよくなっているのがわかる。逆にいえば、第1〜2戦、要するに冬期大会では厳しい結果を残している。これには本人も認めるところだ。「個人的に得意な釣りはシャロー。特にスポーニングからアフターにかけては、自分で言うのもあれですけど、優勝してもおかしくないくらい気分がノッてます」と述べている。
 一方で桂さんは、浚渫、岩盤の釣りを得意とする。有名スポットに数艇のボートが浮かんでいたとしても、彼はそのスポットで釣り勝つ実力を持っているのだ。さらに霞ヶ浦南岸エリアが彼の真骨頂を発揮できる場だ。南岸が生きるシーズン、それは北東の風が収まり、南風が吹き出すとき。つまり、4〜5月は桂さんにとっても勝機が上昇する時期と考えていいだろう。彼も第3〜4戦にかけて好成績を残している。
 2000年シリーズ第4戦(ツーデイズ)、桂さんは初日8000gを持ち込んだ。松村さんは6460g。最終日、桂さんは6790gとウエイトを落とし、松村さんは8650gという怒濤のウエイトを持ち込み、見事初優勝を飾った。桂さんは2位で終わる。
 
 本戦2週間前、2人にプラの状況を伺ってみた。お互いにいい感触を持っており、激しいせめぎ合いになることは間違いなかった。彼らの間における勝敗は、どちらがより上位でフィニッシュしたかで決定する。「ベストは、桂さんが2位で、僕が彼に20gくらいの僅差をつけて優勝したい」と松村さんはコメントを残した。ただしここ2年間の2人の成績を見返してみると、桂さんが松村さんより上位で大会を終えている方が多い。はたして、今回は……。
 
 では、その2人のバトル、第4戦の結果をお伝えしよう。
 松村寛さん、6尾・3490gで7位。桂裕貴さん、2尾・1550gで23位。松村さんが圧倒的な強さを見せて快勝した。
 松村さんのエリアは、牛堀のシャロー。同大会を制覇した荘司雅之さんとほぼ同じエリアである。桂さんは、強風のため得意とする南岸エリアに入ることができず、バックアップエリアで奮闘するも、イメージしていたウエイトには届かなかった。今大会は全体をとおして、ウエイトが伸びなかった。これは風の影響で多くの選手がプライマリーエリアを捨てざるをえなかったところにある。
 桂さんは言う。「今日で松村君との勝負は終わったとは思ってませんよ。次はツーデイズですから、いいウエイトを持ってきて、年間順位もひっくり返したいですね。できれば、お互いクラシックに出て、その場で彼に勝って、なおかつ優勝したい」。
 …… '96年組の闘いはまだまだ続く。