W.B.S.2003年度シリーズ
第2戦レポート


気温と水温問題、 第2戦 ツーデイズ・フォーマットの真意
 
 2003年3月29〜30日の日程でW.B.S. 2003年度シーズン第2戦が茨城県霞ヶ浦で開催された。シリーズ全5戦のうち、今年はツーデイズ、すなわち2日間の試合は2大会開催される。2003年シリーズでは5戦中2戦、2001年は全戦ツー・デイズ、2002年は1回のみがツーデイズ・フォーマットで開催された。2001年度は別として、年間成績がウエイトで競われるW.B.S.において、ツー・デイズ・トーナメントは年間順位に大きな影響を及ぼす。今年は今回(第2戦)と最終戦がツー・デイズで開催されるが、ともに大きなキーポイントになるだろう。
 昨シーズンのツーデイズトーナメントは第3戦であった。大会オフィシャルによると「ビッグウエイトが続出しそうな時期にツーデイズをもってきている」とのこと。通例、W.B.S.の第2戦は3月、第3戦は4月に開催され、ともにスポーニング絡みの展開になっている。確かにこの時期は年間を通してもっともビッグバスの飛び出す確率が高いシーズンだといえるだろう。W.B.S.ではグランドチャンピオンシップという岸釣り大会を開催しており、これに参加しながら観戦に訪れるファンも多い。参戦アングラーのみならず、観戦するファンも充分に楽しめる大会にするのが、オフィシャルのねらいでもあるのだ。
 
 第2戦を前に数名のアングラーに話を聞いてみたが、ポジティブな返答はほぼ皆無。口を揃えたように、「渋い」のひと言ばかりが返ってくる。「2日間ノーフィッシュで終わることもあり得る」と答えた人さえいたことから、まさにタフな状況がうかがえる。
 3月第2週、カスミの気温上昇は例年よりも遅れていた。バスは産卵モードにも達していない。フィールドコンディションの低下、選手の焦り。パターンすら不安定なプラが続いた。満を持して試合に挑んだ選手が、果たしてどれほどいたことであろう。大会直前のインタビューで、これほどまでに緊張感があったのは久しぶりである。
 
 アングラーが困惑するのも当然だった。昨年の同時期は暖冬の影響で、例年より2〜3週間ほど春が早く訪れた。桜前線は3月中旬に日本列島を通過し、異常気象ともいえるほどの暖かさが関東エリアを包んでいた。一方、今年は例年とほぼ同じか多少遅い程度だが、ここ数年間暖冬が続いていた。このため、私たちの「例年」という感覚が狂ってしまっていたのではないだろうか。このようなサイクルもまた自然の営みであり、こういった難しさがあるからこそバスフィッシングは楽しいものだともいえるのだが……。
 ともあれ、この「感覚的に遅い春」は大会開催の目前、3月第3週めまでのことだった。オフリミットの数日前からようやく春の兆しが見えてきたが、このため、逆にますます展開が読めなくなった。それまでは気温8〜10℃だったのが、一気に13〜17℃へと上昇。桜のつぼみも開花しはじめた。多くのアングラーたちは“春パターン”を思い描いたことだろう。「このまま本戦まで陽気がもてば、グッドサイズがシャローへ……」そんな展開が待っている。なにより、トーナメントという要素を抜きにしても、このシーズンの釣りは楽しい。……にもかかわらず、神様はどこまで気紛れなのだろうか。本戦初日、2日めと、スタート時は霜が降りるほどの寒さに戻ってしまったのである。春なのか、冬なのか。混戦になることは必至だった。いくら気温が下がったとはいえ3月下旬、桜もまばらに咲きはじめている。
 水温はエリアによって異なるが、およそ8〜12℃。気温が上昇することを予測したパターンが現実的なのか、それとも保守的に冬のエリアをじっくり攻めることが正解なのか……多くのアングラーたちはまったく確証を得られぬ状況下でのスタートを余儀なくされた。
 昨年の第2戦を制している荻野貴生さんは、本戦で水深50cmほどの“超”シャローをパターンに入れていたというが、今年のバスはまだそこまでさしてはいなかった。彼は初日1フィッシュ、2日めは痛恨のノーフィッシュでウエイインステージに現れた。苦悩の表情から試合展開の読みが外れたことがうかがえる。
 Spring has not come yet...水中は、まだまだ春とはいえないコンディションだったのだ。
 
 2003年に入り初めて迎えるW.B.S.プロチーム・トーナメント。見所は、“第2戦めにしてツーデイズ・フォーマット”という部分にある。冒頭で「ツーデイズがキーポイント」とも記した。理由は、シリーズ全戦を通し、もっとも年間成績に影響を及ぼすトーナメントとなりうるためである。
 “もっとも”と言っても、今季は2度のツー・デイズ・トーナメントが開催される。その最初の山が第2戦となるのは間違いない。
 昨年12月8日に開幕した2003年度トレイル。第1戦は43チームで競技されるも、14チームがノーフィッシュで終わった。また、ワンフィッシュでのウエイインでウエイトが1000g以下のアングラーが10チーム。ノーフィッシュ組と合わせると24チームとなっていた。初戦にしてアングラーの半数が危ない状況に陥ったといえるだろう。黄色信号発進となったアングラーの中には、鈴木剛さん、早乙女剛さん、山本寧さん、大藪厳太郎、麻生洋樹さん、粟島英之さん、西村嘉高さん、浅井由孝さん、谷中洋一さん、海藤真也さん、桂裕貴さん、赤羽修弥さん、鳥澤徹さんらがいた。例年ならば、上位争いを演じるアングラーたちである。痛恨のスタートといわざるを得ない。
 そして第2戦、ツーデイズ・フォーマット。年間成績がウエイトで競われるW.B.S.においては、実質2試合分に相当するトーナメントだといえるのだ。つまり、この大会をトップで乗りきることができれば第1戦の帳尻合わせが可能となる。逆に、もし第2戦も不本意な成績だった場合、再起不能に近い瀕死のポジションへと転落する。全5戦中2戦を終えた時点で早くも年間チャンピオンレースから脱落、そしてクラシック・クオリファイの道も険しくなってしまうのだ。もちろん、第1戦でそれなりの成績を収めたアングラーにとっても、実質2戦分に相当するこの大会は重要極まりないものだといえるのだ。
 最終戦のツー・デイズもまた、年間順位に大きな最終変動をもたらす可能性が高い。しかし、昨シリーズの第5戦といえば、ワン・デー大会ではW.B.S.史上に残るローウエイト(5720g)での優勝というトーナメントとなった。今から7月下旬の大会を予測することは困難であり、意味をなさないかもしれないが、やはり最終戦ということでもっとも注目される大会になることは間違いないだろう。

 
 
 
 
 
鳥澤徹、地獄からの生還。逆転優勝で完全復活

 鳥澤徹さんにとって、昨シーズンは厳しい1年となった。第1戦に続き、第2戦でノーフィッシュ。最終戦で優勝するも、年間順位は32位と低迷した。そして迎えた2003年度シリーズ。第1戦の会場には、彼の応援団が集結していた。他団体にも精力的に参戦する鳥澤さんの向こう側の仲間たちである。彼らも、普段ともに切磋琢磨するアングラーがカスミで勝つ瞬間を見届けに来ていたのだ。応援に来てくれた友の思いに応える試合をする。仲間であることを誇りに思い、胸を張って家路に着かせてやりたい。それが本心だっただろう。
 しかし悪夢は蘇る。第1戦ではまさかのノーフィッシュを再び味わうという屈辱。しかし、この試練は鳥澤さんの精神的な強さをさらに強固なものにしたようだ。
 
 鳥澤さんは家庭の事情により、長い間霞ヶ浦にボートを浮かべることができなかったという。これ以上負ける試合を続けるわけにはいかないという思いとは裏腹に、練習を積むという手段に頼ることさえできなかったのだ。そんなとき、第2戦のパートナーの市川好一さんから「ボートを出してもらえないか」とオファーがあった。実は、第2戦でのボーター権は市川さんにあった。初戦の成績が思わしくなかったために、鳥澤さんはノンボーター枠での出場だったのだ。
 市川さんも事情によりプラが思うように進んでいなかったのだ。彼にとって、実績のある鳥澤さんをノンボーターとして迎えるのは心苦しい気持ちがある。「ボートを出してほしい」とは、すなわち鳥澤さんのウォーターで作戦を組み、操船権も譲るということを意味している。
 ダイワ精工契約プロとして背負うものも大きい鳥澤さんが、ここまで言われて引き下がれるはずがない。彼が闘うべき敵は春のカスミバスだけではないのだ。過去の自分との対決でもある。ファン、メーカー、市川さんの期待も裏切れない。過去に負けては前に進めない。そう感じたからこそ、マイボートで真っ向勝負にでたのである。鳥澤さんは仕事の忙しさから、直前プラにも入れなかったという。前週の日曜日に1度ボートを浮かべたのが精一杯だった。大会初日は市川さんと「いままでで実績のあるエリアを廻りましょう」と作戦を練るも、運悪くフライト順は最後。自分たちが思うエリアに到着したときには、すでに他のアングラーが先客として入っていた。しかし気落ちなどしていられない。根気強く、その状況下でできることを全うする。そして、この日彼らは、初日のビッグフィッシュを含む3尾で4290gをウエイインした。
 
 結果から先にいうと、市川・鳥澤チームは2日間のトータル・ウエイトを8610gとし、逆転優勝を飾った。鳥澤さんにとっては過去の汚名を晴らすとともに、自分にも勝利した瞬間だったといえるだろう。聞いていて胸が苦しくなるほどの優勝者インタビューだった。1度や2度だけでなく、3度までも冬と早春の大会でこれ以上ない屈辱を味わった者が、4度めには頂点に立った。地獄を見た男の完全復活劇。市川さんからは、激闘の証として信頼も手に入れた。
 鳥澤さんは革命の狼煙を上げた。だがファンは、次節にてどんな試合展開を見せてくれるのかと想像し、期待する。それにどう応えるかが、新しい課題である。ただ優勝するだけでは、プロアングラーとして普通すぎる。イバラの道を選んで歩いてこそ、“過去の伝説”が蘇るのではないか。
 
 
 
 
 
 

鳥澤徹、元祖ビッグバス・ハンターとして川口信明に宣戦布告。一触即発ムードに会場は騒然
 
 “過去の伝説”とは、鳥澤さんが以前、ツーデイズの大会で2日間連続でビッグフィッシュをウエイインしたというもの。彼はいまだその手の内を空かしていないが、それをいつでも再現できるかのように、こう言ってみせた。
 「いつもビッグフィッシュをねらって釣っています」。
 また、「とりあえずビッグフィッシュが獲れたので、ビッグフィッシュ・ハンターの名前は保持できなかなぁと。最近は川口(信明)君にかなり追い上げられてるんで、それだけを考えて。川口君はたぶん考えてないんでしょうけど、僕は追いつかれないように逃げるだけ」と川口さんを名指しし、ビッグフィッシュ・ハンターの名を守り通すことを宣言した。彼はこの「川口君はたぶん考えてないんでしょうけど」の部分で、声を張り上げている。その瞬間、会場を吹き抜けていた風は止まり、下を向いて座っていた選手たちはステージ上の鳥澤さんに視線をおくった。
 宣戦布告。鳥澤徹から川口信明へ、ビッグバス・ハンターの称号を賭け、一騎打ちの挑戦状を叩きつけたと取れる。
 
 鳥澤さんには「必要なときにビッグフィッシュが釣り上げられる」という自負がある。その凄みを語る上で欠かせないのが“ビッグバス・ハンター”の称号だ。元祖“ビッグバス・ハンター”の鳥澤さんにとって、検量の際、MCの関口良治さんが「ビッグバス・ハンターの川口さん」とコールしていることも気になって仕方がないはず。誰が一番その名にふさわしいのか、その地位を脅かす者とは白黒つけなければならない。ビッグフィッシュ・ハンターの王座を賭けて、川口さんと真っ向勝負に出る。これが復活した鳥澤さんに与えられた新テーマの1つなのだ。

 それにしても、その大事な称号がずいぶん長い間、鳥澤さんから離れてしまっていた。他の選手がその名を奪取することもできたが、気がつけば川口さんが長期政権を築いていた。このままでは、ビッグバス・ハンターの名は川口さんに定着してしまう。
 川口さんのスタイルは、基本に忠実といっても過言ではない。カスミを制するための法則ともいえるテキサスリグやラバージグのフォーリングとボトムバンピングが、彼の持ち味である。マンメイド・ストラクチャーとの距離感、ショート・ディスタンスを熟知するカスミ・ビッグバス・ハンターの1人だ。
 一方、初代ビッグフィッシュ・ハンターの鳥澤さんは技巧派として有名で、カスミだけではなくリザーバーの釣りもこなす。シャッド系プラグも自由自在に操り、今大会のビッグフィッシュ(2350g)もこのタイプのルアーで仕留めた。
 川口さんは「鳥澤さんはホンモノですから。オレはニセモノなので」と笑ってごまかしたが、その目は死んでいなかった。
 「『30cmくらいのバスだけど、よく釣れてるよ』って仲間から言われても、気にしてませんね。そんなのが釣れても、オレの釣りじゃないと思ってますから。7尾で5kg 釣るなら、4尾で5kgをねらいたい。川とか、混みあってるエリアにも行きませんね」とテクニックや小細工で揺さぶるような闘い方をしないことも語っている。これが川口流ビッグバス・ハンティングの図式なのだ。失礼かもしれないが、川口さんはプロアングラーとして器用なほうではなさそうだ。骨太なメソッド、生まれもった精神力が鳥澤さんからの挑戦状に対する闘志になっている。
 
 鳥澤徹さんから、川口信明さんへの衝撃の宣戦布告。鳥澤さんは「追いつかれないように逃げるだけ」と語っていたが、そう簡単に逃げられる相手ではないことは鳥澤さん自身が知っていることだろう。
 第3戦以降、鳥澤VS川口のビッグフィッシュ・ハンター抗争が見逃せない。