第12回W.B.S. KASUMI CLASSICは20名のアングラーで競技されるのだが、うち5名は今回が初出場である(ノンボーター選手の初出場は含まない)。これは中嶋美直さんや草深幸範さんのような若手選手がシーズンを通じて頭角を現した事実、そしてベテラン選手が沈黙せざるをえなかったほど霞ヶ浦のコンディションがタフだったことを示している。それでも出場権を獲得した霞ヶ浦の手練たち……峯村光浩さん、宮本英彦さん、鳥澤徹さんや狩野敦さんの実力は計り知れない。
 彼らは雑誌などのメディアへの登場回数も多く、一般ファンにも認知されている。当然、彼らは黙っていても注目される存在であり、横綱相撲を見せてくれる安心感がある。ならば、いかにして純粋に試合内容そのものでファンの心を掴むのか。それこそ初出場選手が新規ファン開拓へ打って出るテーマのひとつだと思う。
 そんななか、 “微妙”なポジションながら記者が大いに期待をかけている選手がひとりいる。ノンボーター枠年間総合1位で“2度め”のクラシック・クオリファイを果たした、若き革命戦士・安藤毅さんである。
 
 安藤さんは、1999年からW.B.S.へ参戦。現在までずっとノンボーターとしてエントリーしてきた。参戦のきっかけは、「トーナメントに出場して他の選手と競技したかった」わけではなく、「有名選手と同船できるから」だったという。出場を決意する数ヶ月前、彼はマイボートを購入。「最初は17ftくらいのボートから(乗り慣らした方)がいいんじゃない?」とマリーナに薦められたが、「カスミでやるなら、デカいのが必要」と19ftのボートを購入した。彼はこのときすでに、W.B.S.の重鎮たちと肩を並べて闘うだけの準備を整えていたのだ。しかし、技術的、そして心理的な成長にはここから4年の歳月をかけてきた。
 「誰だってデカいボートを買えば、それなりの使い方(大会に参戦すること)を考えますよ。私もハズカシながら、参戦する前は『結構イケるんじゃないの?』って思ってました。でも、出てみて、たとえば林(俊雄)さんや中根(亘)さんとかの釣りを間近で見て、魅せられました。ボート操船ひとつを取っても、勉強させられました。だから、『(ボーターとして出場したいけど)我慢して3年間はノンボーターで修行させてもらおう』と思ってやってきたんです」と語る。そして彼は、3年めとなる2002年の最終戦終了後、もう1年ノンボーターで出場しようと決心した。
 この3年間に彼は、2001年W.B.S.ノンボーター枠総合1位でクラシック出場を果たし、2002年には彼が駐艇するV6マリーン主催の大会のクラシックで優勝している(同マリーナ主催の大会には毎回40〜50艇のボートが出場。比較的大きな大会といえる)。
 出場するのは簡単でも勝つまでの過程の厳しさ、勝つことの難しさは当然ある。3年もの間耐えて自らを鍛えてきたが、安藤さんにとって重要だったのは、ただ参加するだけでは意味がないということだった。やるのであれば、勝てるほどの実力を持って臨むべきであり、その姿勢はプロアングラーとしてもっともカッコイイ勝負理論のひとつであろう。
 そんな彼が来季からボーターとしてエントリーする。その前哨戦としてW.B.S.クラシックで霞ヶ浦の強豪と同じ土俵に立って相まみえようとしている。下馬評では不利と見られて当然のポジションにいる。
 ノンボーターでありながら、ここまで期待を背負った選手はこれまでにいかなったのではないだろうか。
 しかし、どれだけスーパー・ノンボーターと呼ばれようが、運を呼ぶ男と呼ばれようが、いつまでもボーターの影を黙って歩むわけにはいかない。なんのための4年間だったのか。その答えを捜すため、そして自分自身で輝くことの大切さ、その価値観を体現するために、安藤さんは今、クラシックの舞台へと足を踏み入れる。「ボーターとして出場経験がない選手が優勝?」。笑いたければ、笑えばいい。結果は表彰式で明らかになる。
 安藤さんは、大会出場時にはいつも黄色のタイトシャツ(厳密には自転車競技用シャツ)を着用している。かのツール・ド・フランスで、シリーズ総合チャンピオンのみが袖を通すことを許される黄色いジャージ、「マイヨ・ジョーヌ」を意識しているためだ。ツール・ド・フランスでは、観客が「個人総合1位の選手が誰なのか」を一目見てわかるようにトップの選手はその黄色のジャージを身に纏っている。競技は違えど、安藤さんはいつか頂点に立つ日を夢見てあのシャツを試合用にしているという。
 ならば、安藤毅よ、まずはW.B.S.クラシックのマイヨ・ジョーヌになれ!

 注目の一戦は、10月11〜12日にかけて茨城県霞ヶ浦で開催される。