バスフィッシングと出会って20年あまり。
すっかりオッサンになったかつての釣り好き少年が、
これまでに出会ったさまざまなことを
つれづれ〜っと書いていきます。
ご意見、ご感想、叱咤激励はこちらまでよろしくね。


TEXT by Jun Sugawara

BEAT 26  Thank you, Mike.(2005/3/31)

アメリカ西海岸のトーナメント団体、WON BASSで長年トーナメントディレクターを務めてきた、
マイク・ケネディーが交通事故の後遺症によって亡くなった。
ケネディーの名は一般のアングラーにはあまり馴染みがないとは思うが、
レイク・ミードで開催され、清水盛三が優勝した2000年のJB記念大会“US CHALLENGE”において、
米国側の責任者を務めた人物である。
私がケネディーと初めて会ったのは、1995年のレイク・ミードだった。
U.S.OPENに出場する河辺裕和さんに同行していた私を快く迎えてくれたのが、
このマイク・ケネディーだったのである。
1946年、イリノイ州生まれのケネディーは、釣り好きだった祖父の影響で釣りをはじめたそうだ。
中学生のころにカリフォルニア州へと引っ越した彼は、州内の大学に進学。
アメリカのバスアングラーというといわゆるトーナメントプロを想像するが、
彼が若いころはプロのトーナメントは一般的ではなかったという。
事実、若いころの彼は釣りをやってはいたものの、
もっぱらアメリカンフットボールやドラッグレースに入れ込んでいたという。
大学を卒業したケネディーは、バスフィッシングとは無縁の世界である、
アメリカンフットボールのプロチーム、サンディエゴ・チャージャースのマネジメント部に就職。
その後、やはりバスフィッシングとは無縁のタバコ会社へと転職している。
しかし、彼にとってこの転職は恵まれた環境を生まなかった。
彼が転職してしばらくしてから、世の中では禁煙運動が高まっていったのだ。
特に彼が住んでいたカリフォルニア州はアメリカでも指折りの「嫌煙州」へと変貌。
病院や空港、レストランにいたるまで、公共の施設内は州法によって禁煙となってしまったのだ。
また、タバコそのものの税率が大きく引き上げられたこともあり、
彼が勤務していた会社も大規模なリストラを断行せざるを得ない状況になってしまった。
当時45歳だったケネディーは、これにより職を失ってしまったのだ。
しかし、もともと楽天家だったというケネディーは、これを「神様がくれたチャンス」だと思い、
仲間たちとちょくちょく釣りに行っていたという。
そんな彼に、ある日一本の電話がかかってきた。
「マイク、仕事をしないか?」。
WON BASSでトーナメントディレクターを務めていた人物が引退することになり、
後釜を捜しているというこの電話こそ、彼の近況を知った釣り仲間からの救いの手だった。
その後、彼はスポーツマネジメントの経験を存分に生かし、
12年にわたってWON BASSのトーナメントディレクターとして活躍。
特に、U.S.OPENでは日本人アングラーを積極的に誘致し、
トーナメントのスタート時には君が代を流し、日の丸を掲揚するほどの親日家であった。
U.S.OPENに出場したことのある日本人はもちろん、
私のようなメディアの人間にまで真摯に対応してくれたことに心から感謝したい。
実は、彼が事故に遭遇するほんの数日前に「ハーレー・ダビッドソンを買った」という、
自慢のメールがbasswaveに届いていた。
「もう若くないんだから、気をつけてほしいなぁ」と思っていた矢先のことだっただけに、
彼の死去を知り、残念な気持ちでいっぱいである。
ウエイイン会場で私のカメラバッグを隠したりするなど、
茶目っ気たっぷりで陽気なアメリカンだったケネディー。
心から彼の死を悼み、御冥福を祈りたい。

昨年のU.S.OPENで、日本人アングラーの記念撮影をしていたときに乱入してきたマイク。彼の笑顔がもう見られないのかと思うと、本当に残念だ。彼の死を残念に思っている参加経験者たちも非常に多いことだろう……
●現在、アメリカではマイク・ケネディーの追悼トーナメントが計画されているそうだ。トーナメント組織の枠を越えて多くの関係者が集まることになるようで、情報が入り次第お伝えしたい。