バスフィッシングと出会って20年あまり。
すっかりオッサンになったかつての釣り好き少年が、
これまでに出会ったさまざまなことを
つれづれ〜っと書いていきます。
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TEXT by Jun Sugawara

BEAT 22  ジェントルマン・ジョージ(2004/3/4)

すでにNEWSでお伝えしているように、
BASSバスマスターツアー第3戦はジョージ・コクランの優勝で幕を閉じた。
ある程度バスフィッシングのキャリアがある人であれば、
「懐かしい名前だな〜」なんて思ったかもしれない。
バスマスタークラシックを二度制しているコクランは、
今回が224戦めのBASSトーナメントになるというから驚きだ。
1950年生まれの彼は、まさにベテラン中のベテランアングラーだといえるだろう。
私がコクランと初めて会ったのは、1991年の夏のことだ。
それまでにもアメリカのトーナメントで何度か顔を見ていたのだが、
このときはダイワ精工の招聘によってデニー・ブラウワーと日本に来ていたということもあり、
インタビューも含めてゆっくり話をすることができたのだ。
コクランの印象は、ひと言でいうと「とっても物静かで人のいいオッチャン」であった。
アメリカでも“ジェントルマン・ジョージ”というニックネームをもっているが、
まさにその通りの人物で、その人柄はまさにジェントルマンそのものであった。
もともとアーカンソー州の鉄道会社で働いていたコクランは、
ひと足先に活躍していたラリー・ニクソンの勧めでプロアングラーになったそうだ。
二人は同い年ということで古くからの友人であり、よきライバルでもあったという。
1979年のBASSフロリダ・インビテーショナルでメジャーデビューしたコクランは、
ご存じのとおりその後1987年のバスマスタークラシックで優勝。
この優勝によって、名実共にトッププロの仲間入りをしたといえるだろう。
しかし、順調といえる活躍を見せていたニクソンとは対照的に、
コクランはこのクラシックまで優勝というタイトルには恵まれなかった。
クラシックで優勝するまでは生活も大変だったようで、
「何度もやめようと思ったよ」と話していたことを覚えている。
それだけに、スポンサーに対する感謝の気持ちは常に忘れたことがないという。
近年、プロトーナメントの世界には、釣り具以外にも多くの業界が参入している。
それだけにスポンサーフィーにも高額化の傾向があり、
毎年のようにパッチを貼り替えているアングラーも少なくない。
「最近の若いアングラーは、金額だけでスポンサーの価値を判断しているように見える。
それは否定できないが、少なくとも私はスポンサーフィーが高額だからといって、
簡単に移籍するつもりはない」。
2000年の8月にESPNの番組撮影のため再び来日したコクランは、こう話していた。
ちなみに、このとき私はコクランとともに温泉に入るという名誉(?)に恵まれた。
世界広しといえども、コクランと一緒に温泉に入った経験をもっている日本人は、
私と関千俊クンくらいのものだろう。
アメリカ人に温泉は不似合いな気もするが、彼が住んでいる町の名前はホットスプリングス。
その名のとおり温泉が多く、全米から療養に訪れる老人で賑わっているのだとか。
ちなみにこの撮影は河口湖で行なわれたのだが、私たちが宿泊した場所は、
あの山下会長が経営するロイヤルホテルであった。
「日本食は慣れないだろうから」という会長のはからいで洋食も用意されたが、
コクランが嬉々として食べていたのは、なんとアユの塩焼きであった。
「私はファストフードが苦手でね。マクドナルドは食べたことがないんだ」。
これには私たち日本人はもちろん、同行していたアメリカ人スタッフたちも驚いていた。
今年の5月3日で54歳になるコクラン。
これからも現役アングラーとしてバリバリと頑張ってほしいものである。

2000年の来日の際には夫人のデボラさんも同行し、屋形船での東京湾観光も楽しんでいた。この日もコクランはキスの天婦羅を美味しそうに食べていた。ちなみに、ステーキもレアで食べることは好きではないそうである めったに見られないであろう、コクランの浴衣姿。悪口を言う人が皆無というその人柄は、まさにジェントルマンそのものだった