バスフィッシングと出会って20年あまり。 すっかりオッサンになったかつての釣り好き少年が、 これまでに出会ったさまざまなことを つれづれ〜っと書いていきます。 ご意見、ご感想、叱咤激励はこちらまでよろしくね。 TEXT by Jun Sugawara
BEAT 2 霞オヤジとの出会い(2003/4/16) あれは、私が大学3年生のことだった。 当時はバブルの絶頂期、今にも増してノーテンキだった私は、 たいした目的もなくアメリカへ行ってみることにしたのである。 表向きは「語学留学」というものだったが、滞在先に選んだのはフロリダ州。 バスフィッシングが目的であることはミエミエであった。 私が過ごしたのは、フロリダ大学のあるゲインズビルという小さな町。 この大学で教授をしている方のお宅に厄介になっていたのだが、 到着前から私が釣り好きであることを知っていた教授が知人を紹介してくれた。 この方こそ、後に雑誌Basserで連載を担当するハーレー・スミスさんである。 彼は時間が許す限り、私をバスフィッシングに誘ってくれたのだ。 もちろん、勉強をサボってついていったのは言うまでもない。 そんなある日、彼から思いがけず提案があった。 「レイク・ハリスでデカいトーナメントをやっているから、見にいこう」。 私たちが見にいったのは、全米随一の賞金額を誇っていたB.A.S.S.メガバックス。 しかし、このころの私は釣り雑誌を読んではいたものの、 プロのトーナメントには、さほど興味をもってはいなかったのだ。 「あそこにローランド・マーチンがいるぞ」と言われてもピンとこない。 ラリー・ニクソンとは握手をしたのだが、知っているプロなどせいぜい2、3名だったのだ。 そんな私の目の前に、釣り雑誌でよく見かけるオッサンが現れた。 そう、このオッサンこそが吉田幸二さんだったのである。 ローランド・マーチンやショウ・グリズビーにはピンとこなかった私だが、 吉田さんが「日本で最初に“バスプロ宣言”をしたアングラー」ということは知っていた。 早速私は吉田さんに声をかけ、サインをもらって、一緒に写真を撮らせていただいた。 吉田さんは終始「なんじゃコイツは?」という表情を浮かべていたが、 トーナメントで疲れているにもかかわらずイヤな顔せず応えてくれたのだ。 その後、帰国した私は行きつけのプロショップが主催したイベントに参加。 このイベントには吉田さんをはじめ、田辺哲男さんや河辺裕和さん、林圭一さんなど、 数多くの有名アングラーが出演しており、ここで吉田さんとの再会を果たしたのだ。 吉田さんは私の顔を見ると、再会の喜びで涙を流した。 というのはウソで、 「あんなトコで日本人に会うなんて思わなかったから驚いたよ」と笑っていた。 実際、滞在先の町では「初めて訪れた日本人」として歓待を受けたそうだ。 私は吉田さんの「今度、オレの店に遊びにこいよ」という言葉を真に受け、 早速、東京都文京区にあった喫茶店「ルイ」へと足を運んだ。 このころの吉田さんは「霞オヤジ」ではなく「文京区オヤジ」だったのである。 それからというもの、私はこのお店に足繁く通うようになった。 「ルイ」は150円でコーヒーを飲むことができ、マンガも読み放題というお得な店だ。 「コーヒー入ったぞ!」と、なかば強制的に注文させられることもあったが、 なにしろ格安で長居しているため文句など言えない。 もっとも、吉田さんに文句をいう度胸のある者など皆無だったのだが。 当時、ヘビースモーカーだった吉田さんにショートピースを買いに行かされ、 間違ってピースマイルドを買ってきて怒られたこともあったなぁ……。 吉田さんがタバコをやめてしまった今ではよい思い出である。 「ルイ」には吉田さんを慕って通う常連客も多く、有名プロと出会うことも多かった。 横山鉄夫さん、宮本英彦さん、赤羽修弥さん、中根亘さん……。 思えば、W.B.S.設立もこの店での会話がきっかけだったのだ。 その後、急速にバスの世界にのめり込んだ私はBasser編集部で働くことになり、 吉田さんに同行してフロリダを取材する幸運にも恵まれた。 残念なことに、吉田さんの霞ヶ浦移住とともに「ルイ」は姿を消してしまった。 私はてっきり霞ヶ浦の畔でお店を開くものだと思っていたが、 残念ながらそのような話は聞かれない。 吉田さんならきっと楽しい店を作ってくれるはずなのになぁ〜。 と、私は今でも「ルイ」復活を密かに期待していたりするのである。